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GIGA時代の運動会のクリエイティブな団体演技の在り方を考える

これ、何度か話していることなのですが、教員人生で一番感動した瞬間があります。意外と思われるかもしれませんが、『組体』なんです。ミスチルの『終わりなき旅』の最後のサビのところで5段タワーが3基立ち上がり(今じゃ絶対にありあえない)、124人の子どもたち全員が最後のポーズを取る。大きな拍手と歓声がグラウンドに渦巻く。朝礼台から見たその光景が今までで一番感動した瞬間です。

そして最後の笛を吹き、拍手で退場を見送る。やりきったという涙を流しながら歩く子、誇らしげに歩いている子、全員が退場した後、学年の他の3人の先生と握手をする。これは自分の中での大切な大切な思い出です。

しかし、これは多くの子ども達を鍛え上げ、統率するような集団演技を作り上げることが指導力と定義づけられていた頃のお話です。

そういう時代は終わりました。

GIGA時代の運動会にクリエイティブな団体演技の在り方について考えましょう。


コピードリブンな集団演技からの脱却

出来栄えのインフレ、子どもを使ったエンタメ化、時間超過が当たり前の風潮。
この辺りが運動会における団体演技の問題点だと感じます。

出来栄えを求めるがあまりどんどん難しい技やダンスにチャレンジし、それは子どもを使った一種のエンターテイメントになっていきます。保護者もそれを期待し、指導者はそれに応えようとします。すると、知らず知らずのうちに教育の本質のレールから逸れていきます。そして元々の指導計画を大幅に超過していく、これが自分自身が過去にやってきた過ちです。

また、ただただ見本を正しく模倣するだけのコピードリブンな集団演技、これも体育の本質からズレているので問題です。

よって、持続可能な範囲(大切)で子どもたちが協働的に思考し、創造していく部分を演技の中にしっかりと作ることが必要だと考えます。

チーム創作演技→全体演技というフレーム

全ての演技を子ども達がクリエイトしていくことは現実問題として無理があります。そこで中心となる全体演技は基本的に全員同じ演技をします。ただし、見本は教師ではなく見本動画です。Teams等で子ども達に見本動画を送り、チーム単位でタブレットに映る映像を見て教え合いながら練習します。また2台目のタブレットをその横に置いてインカメラで映すことで、タブレットの鏡化ができます。

そして、中心演技の前にチーム演技の時間を取ります。
これは自分の使う常套手段なのですが、民舞の演技なら吉田兄弟の曲をベースにチームごとに子ども達に16拍分の創作をさせます。その際、音楽の世界観に合ったものにすることは条件とします。

そして16拍ごとにチームが入れ替わりチームで創作した演技をします。最後に全員で自分のチームの創作した演技を踊ってポーズ。ここで一旦拍手が入り、全体演技へと移るという流れです。

こうすることで持続可能な範囲で子ども達が創造的な活動を展開することができるようになります。

創作+映像化が秘める可能性


昨年度から、マット、縄跳び、鉄棒と、これまでは個人で技能を高めることが8割だった単元で、音楽に合わせてチームで演技し映像化するという授業にチャレンジしてきました。

当然、活発な話し合いが起こりますし。自分の技をレベルアップさせたいといった技能習得の動機づけにもなります。また、映像として自分の表現を見ることでメタ認知的な力やPDCAをチームで回していく力の獲得にもつながります。そして何より、映像化することで相手意識が生まれます。この相手意識は自分の親や兄弟に家で観てもらえるから頑張ろうという強いモチベーションになり得ます。

運動会の演技でも、子ども達主体でチームでの創作演技を映像として残すというプロジェクトにすることで、スペシャルな相手意識やスペシャルな目的意識が働きます。撮影する場所やカメラワークなど映像化をすることで表現の幅が広がるのもポイントです。

こうやって、子ども達が主体となりクリエイティブな活動をする計画を、この夏休みに取り入れてみてはいかがでしょうか。