けさのまにえふしふ58
人言(ひとごと)は夏野の草の繁(しげ)くとも妹とわれとし携(たづさ)はり寝(ね)ば(10-1983)
人言者 夏野乃草之 繁友 妹与吾師 携宿者
けさのまにえふ。「人のうわさは夏の野の草のように多くても、あのいとしい子と私と、手をとりあって寝たなら―」
夏の相聞。草に寄せたる。なかなかお熱い、ヒューヒューな歌で、よろしおすなあ。
万葉では、あいびきにおいて人のうわさを気にする歌というのは結構あるが、現代の芸能ニュースだって熱愛不倫謝罪なわけだから、取り立てて厳しい監視社会ではなかったろう。
ただ、通い婚なわけだし、建物にオートロックもなかろうから、人目につきやすいよね。夜道も明かりが要るし。
だから、まあ作劇術として、周囲が反対、とまででなくても、うわさになっても関係ない、というのは恋愛の初期をよく表せる、ということだよね。
表現的に面白いのは、「寝ば」という言いさしで、あの娘と寝ねるなら、(もうどうなってもいいぜ)と現代は補うけど、当時もそれで、合ってるかな。たぶん歌としては略しすぎよね。
ま、この時期は、外野は何を言ってもしょうがないね。あのうっとおしい、夏の草にしかみえないわけだから。
照屋へんかん。
完結の単位でもあり二人とは閉じるのをみるのは何度目か(照屋conv.)
(20161013)