なぜ独立した?④

当時中央区の下町に事務所があった。
その地域の公民館を借りた会議が始まった。
少ない東京営業所でも呼ばれないメンバーがいたからだ。
本社工場と付き合いのある地銀からきた顧問と社長、俺、頭の切れ過ぎる事務員の四人で会議をする。
まずは現状の問題共有。
と言うか欠席裁判だな。
頭の切れ過ぎる事務員はここぞとばかりに不満をぶちまける。
かろうじて名指しされないのはその場に居たからか?名指しされた上司達の所業はその通りだが一つ見方を変えればそれはそれでありだとは思う。
「あんたどう思う?」社長からいちいちケツを振られるが事実は事実。
「間違いありません」としか言えなかった。
その時その先に何があるか。
何が問題なのか。
考えにも及ばなかった。

公民館会議後に戻った営業所から社長に連れ出される上司達。
気の毒に思いながら陰口を叩いてるような気に苛まれた。

それも三ヶ月ほどで答えが出された。
部長は本社工場に戻り、課長はそのまま。
しかしその部長の後任に俺がなることに。
上司を追い落としその座を奪った形になった。

そもそも好きでも嫌いでもない上司だ。
北陸の実家は広い田圃を持ち奥さんが主に従事しており米の収入だけでも生きて行けるからか少し普通のサラリーマンと気質が違った。
優しくも厳しくもなく、ただ好きなように生きてるイメージの人だ。

その上司に入社して2年目の時にお願いした事がある。
赤字から抜け出れなかった時期だ。
パリで毎年行われるプルミエールビジョンという繊維の世界的展示会に行きたいと言った。
ただの憧れからだ。
それには旅費として100万は掛かる。

しかしその上司は行かせてくれた。
本社内の反対を押し切り東京営業所の未来のためと。
どこかで感謝を越えた自惚れがあったと思う。
それが今でも俺を変化させ切れない原因かと思う。

その後、入社三年で部長になった俺はツケを払うことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?