なぜ独立した?③

ポールスミスは伊藤忠の引きだ。
もともと加工糸の海外販売を伊藤忠と組んでいたので新素材の紹介を国内メーカーに働きかけてくれていた。
結果あちこちのアパレルから問屋を通じて素材の問い合わせが入る。
アパレルダイレクトに販売してない当社としては当たり前の流れだがその大手問屋たちのクセを知らないある意味、無垢な素材メーカーは翻弄される。

基本上からしか言われない。
ブチ切れ、無愛想は当たり前。
こちらからの電話は出ない。
要件はお願いと言うより命令。

そんな時、大手の生地問屋の担当が飛び込みできた。
その生地を売りたいと。
私と同じ歳の彼はウチの事業責任者にも気に入られ、私とは親友となる。

その大手問屋は彼と出会った4年後にはつぶれた。
そのまま違う中小の生地屋に再就職した彼はその後もウチの生地を売り続け生地問屋と言う生業が理解できるようになっていく。

その彼の友人は同じ年代が多く、上司のウィークリーマンションから脱出し千葉の市川に居を構えた私は当然飲みに行くことが増える。

気が付けば東京赴任から3年の月日が経っていた。
東京の国内部隊は売上すら上がったものの問屋の言いなりから脱せず過剰在庫、仕掛かりにより2億超の赤字を積み上げており、いよいよ社長が直接的に乗り込んできた。
グループの役員はそもそも東京のテキスタイル販売部隊には反対しており身内には味方がいない。
しかも当時の事業責任者は昔からその役員達とソリがあっておらず閉鎖の危機に陥った。

驚きの社長判断はそんな時に起こった。


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