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なぜ独立した?①

いまから20年近く前に会社を創業した。

理由は単純で勤めていた会社の社長とケンカしたからだ。
当時は「およげたい焼きくん」みたいだと思っていたものだ。

10年半勤めたその会社は繊維業界の中小企業ながら独自の技術で世界に高いシェアを誇っており逆に国内においては5%ほどのシェアしかなかった。

アパレル出身の私が繊維素材メーカーを選んだのはアパレルのモノづくりに繊維製造知識を求めたからで3年で辞めようと思っていた。

石川県にある加工糸の本社工場と外部の機屋、染色工場で7ヶ月の研修を終えて配属されたのは新設された国内販売部隊だ。

そもそも以前勤めてたアパレルは生地屋に対して高圧的で見下してた感がある。
それはその後も常に付き纏う。

東京に事務所を構えるとのことだったが赴任当時は東日本橋にあるカネボウのテキスタイル事業部のオフィスを間借りしていた。

すでに数ヶ月前に先入りして準備をしていた上司達は飲み友達もいるほど仲が良くはなっていたが赴任当初26歳の私はおっさんばかりのノリに辟易していた。

ようやくひと月後に人形町に事務所が決まり移転したものの犬の置物がエレベーター前に置かれている変な雑居ビルで事務用品は大阪の営業本部のお古がまわされている。

おっさん二人と大阪営業本部内の不倫がらみで左遷された女性と私の四人。
グレーのありがちな脇机は3段の引出しがあるが2段開けると手前に倒れると言うガラクタが置かれ社長の学友と言うだけで所長となった事業に関係ないおっさんの総勢五名。

事業責任者になった年長のおっさんは17時になれば雑居ビルの向かいの酒屋でビールを買って来いと言う。
そして30分後にはそれを飲み切り外に飲みに行く。
その頃はまだ住む家が決まっておらず石川県から来た事業責任者のおっさんのウィークリーマンションに泊まらせられていた。
だから飲みに行くのも麻雀するのも連れて行かれる。
プライベートもへちまもない毎日だった。

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