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「カレーに対する情熱って、なんだね?」

 今日、あるお客様(高校時代の先輩で、料理はセミプロ級)がお店に来てくれて、正直な感想を頂いた。

「カレーうまかったよ。毎日でもいける感じ。こだわってるけど、肩ひじ張ってない感じが良い」

 我が意を得たり、という感じだった。
 そういえば以前、大変お世話になっている方(カレーやエスニック系のプロ)から

「サルタナさんの話を聞いてると(モクテルに対するこだわりはすごいけど)『カレーに対する情熱』が全く感じられない

 と言われたこともある。

 そうなんです。正直に言ってカレーは私にとって「ビジネス・パートナー」であって、情熱を注ぐ対象ではない。自己研鑽を重ねて、より高みを目指す、みたいなことは考えていない。

 ここで、誤解されては大変こまるのだけれど。

 情熱とかじゃなくて「当たり前のもの、自分でも食べたいものを作ろう」って、ただそれだけなんです。
 「売れるカレーを作ろう」じゃなくて「自分で普通に食べてるカレーを作ろう」という、そういう感じです。
 「店に出す用のカレー」じゃなくて「うちのカレー」

 こう書くとどう思われるんだろうか?「そんなのプロじゃない」とか思われるのだろうか?
 ここは難しい部分で「売れるカレー ≒ 店に出す用のカレー」と「うちのカレー」の間に大きな溝があったら、それはそれで問題ですよね、というのが私の考えです。

 これはマーケティングの話にもなってくるのですが、サルタナのカレーは

1.グルテンフリー(大麦は使ってます)
2.化学調味料(グルタミン酸ナトリウム等)不使用
3.シュガー・フリー
4.塩分抑制(1食2.5g程度)
5.豚肉不使用(ムスリムの方を念頭に置いて)

 を言わば『こだわり』として掲げています。
 これらは「ナニナニを使ってます!」っていうコダワリ表示ではなくて「ナニナニは使ってません!」という、マイナス方向のコダワリなのですが、そういうお店ってカレーに関わらず稀少なんじゃないか?
 特に化学調味料や塩、あるいは砂糖を増やしてゆけばお客様を獲得しやすい。しかし「要らないものは要らない」し「多すぎないよう適量に」という、いわば「儲かるビジネスとは相反するレシピ」いわば「自分で食べたいレシピ」を押し通して作ったのが、サルタナのカレーです。

 だから味は「そこそこ」です。ただ、素性の分からない原材料や、無駄な添加物は入れていません。自分が食べるとしたら、と考えるとそうなったというだけです。

 一言で言うと「食文化を壊さない料理店」でありたい、ということなんですが「シンセを弾きながらカレーを食べること自体が"食文化の破壊"じゃねえか!」という声も聞こえてきます。それもそうなんです、今後の課題ですね。


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