気の持ちようというコトバ
みなさん、お疲れさまです!見ていただき、ありがとうございます!!
今回は、気の持ちようについて投稿しようかなと思います。
思いのまま書いていくから、不快に思ったりしたらごめんね😢
よく、気の持ちようだとかいう人もいますが受け取り方によっては、傷つく人もいると思います。(わたしもそのひとり)
注意欠陥多動性障害を持っていますが、気の持ちようだ!とか、そう思わなけばいいんじゃない?そんなの誰にでもある!医者行くのやめろとか色々なことを言われたことがあります。(職場の先輩や親など)
理解を求めたいところだけど、話したらもう無理だなと痛感しました。
全員が理解してくれるわけじゃないのはわかっているけれど、せめて親には理解して欲しかったです。
偏見がすごいのか、精神科に行くことすらそんなの気の持ちようだし、薬もらって終わるだけとか言われたことがあったので、社会人の時に異変に気付いて、親には黙って病院に行くこともありました。(健康保険も自分の給料から差し引かれるため、親にバレることはない)
いまになってやっとお母さんは理解してくれるようになったが、お父さんは理解してくれません。(お父さんは会社でも人事の経験あったのに)
気の持ちようというコトバは、わたしにとって凶器だと思ってます。
小さい頃から、気持ちが弱いから悪いんだ!いじめの原因はやられた側にも原因ある!頭悪いから悪い!とかなんでもかんでも気の持ちようで片付けられたため、大人になったいまでも休職した原因や人間関係の構築が苦手なこと、仕事ができないのも全部私が悪いと思って苦しんでいました。
(親の言いたいことはなんでも他人やコトのせいにするなっていう意味だと解釈)まわりの人からの精神論は本当に怖いなって思います。
社会人になって注意欠陥多動性障害と診断されてから、いままでの自分の行動や言動の違和感がスッキリしたような感じがしました。
一生のお付き合いなので、自分と向き合いながら過ごしていくしかないと思ってます。苦手なコトを目を向けるのはもちろんのこと、得意な部分を見つけて、生かしていきたいです。最後まで、読んでいただきありがとうございました!!