初潮記念日
8月22日…毎年あることを思い出して意識してしまう日。
私に初めての月経が訪れた日。
初潮記念日。
初めての月経のこと、なぜ「初潮」っていうの?(初経とも言うけど)
初めて女性的な潮が来た、みたいなこと?
(なんか卑猥?受け取り方の問題)
初潮を辞書で引いてみると
初潮:初めての月経
初潮(はつしお):潮の満ちるときに最初にさしてくる潮。
【出典:デジタル大辞泉】
やはり、私の解釈もあながち間違ってはいないと思われる。
女性として満ち足りる、これから女性として成熟する最初の一歩、最初の潮が満つ、といったところだろうか。
小学五年生の夏休み、8月22日。忘れもしない。
当時、両親は共働き、今のような学童保育も充実していない時代だったからか、小学生の夏休み期間は毎年、祖母宅に預けられていた私。
(あ、以前の記事にも登場した『畜生』発言が飛び出した、最愛の祖母のところです。↓過去記事参照)
朝、普通にトイレに行って用を足そうとしたそころ、パンツが茶色というか黒っぽく汚れていたのを見て悲鳴を上げたことを覚えている。
当時、小学五年生とはいえ、生理についての知識はあった。
学校で女子だけ保健室とかに集められて、小さなビニールのきんちゃく袋に入れられた生理用品のお土産付きっていう性教育があったからだ。(女子だけ呼び出されてお土産もって教室に戻ってくるもんだから、男子たちがニヤニヤして「女子だけ何ー?」とかうるさく騒ぐやつ)
生理とか、月経ってなると、血が出るもんだって思うじゃん?(誰に聞いてる?)
だから、パンツについた茶色のどす黒いのを見て、パニックになり、パンツを持って祖母のところに走り寄った。
「おばあちゃーん、パンツになんかついてる〜、汚した〜!!」
それを見た祖母は、新しい下着と生理用品を渡してきた。
「そろそろかなってお母さんから聞いてたから準備してたよ」
そして、祖母から、これが生理なのだと、初潮なのだと教えられた。
へぇー。思っていたのと全然違う。
それが私の初潮に対する第一印象。(だって、ダラダラ血が出るものだと思っていたから)
祖母がお赤飯を炊くと言ったけど、お赤飯は好きじゃなかったから、私はちらし寿司をお願いした。
あの日、女になった私。
あれからもう30年も生理と付き合っているのか。
よくよく考えるとすごいことだ。(30年間、毎月必ず訪れている。おまけに腹部に痛みを、心にはネガティブを。最近は爆食期まで引き連れて)
すごい年月が経ったよ、おばあちゃん!
この30年の間に2回も結婚したけど、どっちもダメだったよ(泣)。
あの日、おばあちゃんちで女になった私、もう女性として終わろうとしているよ、おばあちゃん!
天国の祖母に心から叫ぶ。
私の生涯、妊娠したのも出産したのも1回きり。
その1回で、愛娘に出会えたことは、本当に人生最大の奇跡だし、私にとって言葉では言い表せないほど幸運なこと。
41歳となった私。
別居し、離婚目前になり、最近、いろいろと考えることがある。
別居夫との離婚話は進まないし、私の気持ちも全然離婚にシフトしない。
決して、別居夫を愛しているから決断できないとかではない。(これはもう自信を持って言える)
すんなり別居夫の言いなりにはなりたくない、そういう意地もある。
でも、このまま時をやり過ごしていたら、私はもう女として終わるのではないか?終わってしまうのではないか?(もう終わってる説もあるけど)
それはそれで悔しいし、自分で言うのも変だけど、もったいないと思ってしまう。
だからと言って、じゃぁ次に進む?
もう一回、イチから誰かと恋愛する?恋できる?
うーわ。それも面倒くさい。それに恋の仕方を忘れたよ。(恋はするんじゃなくて落ちるもんだよ、って昔口説かれたことあったな、クサっ)
この先どうなるのかな。
いずれ、愛娘だって誰か最愛の人と一緒になって私の元を離れていく。
愛娘が巣立った後、一人でいい?・・・ひとりの時間は好き。
でも、生涯、一人でいい?・・・ん〜、ずっとひとりは寂しいかな。
想像はできる。自立して、一人で暮らせる。あれこれおぼつかなくなったら、介護施設なんかも自分で手配して、一人で終活する。
そんな姿を想像はできる。悲しいかな、医療職ゆえ、介護業界の仕組みもわからなくもないからね。
41歳。まだ41歳。もう41歳。ああああああ〜
これから女としての生き方って何があるんだろう。
「妻」「母」・・・私の肩書きから「妻」がなくなる。
これから「女」としてどう生きようか、あと何年、ちゃんとした月経がくるだろうか。
もう閉経のほうが近いよね。
などなど、色々深く考えさせられる初潮記念日だった。