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40代の誕生日の思い出に、奴(夫)はいない

先日、誕生日を迎えた。42歳になった。
40代に突入して、三回目の誕生日。

現在、まだ婚姻関係にある2回目の結婚相手である現夫。
その夫が家を出て別居状態になってからは1年以上が経過。
夫が居なくなってから私は2回、41歳42歳の誕生日を迎えた。
これまでの結婚生活における、夫との誕生日の思い出を振り返ってみる。

結婚した時、28歳。
当時、夫の高校の後輩が地元でセレクトショップ兼雑貨屋さんをオープンしたことを受け、最初の誕生日プレゼントは、そのショップにてショップオリジナルの革製品のバッグやお財布だった。
デザインも良いし使い勝手も良いし、まぁまぁ私の好みにも合ったので、
欲しいものではなかったけど喜んで受け取った。

それ以降の誕生日は、毎年、
夫の青年会議所の先輩が代表を務める地元のセレクトショップにて購入した洋服たちだった。

初回は忘れもしない
ABAHOUSE(アバハウス)のトップスとボトムス。
緑と白のボーダーのトップスに黒のサルエルのボトムス。
うん、これもまぁ嬉しかった。
(最初、絶対似合わないって思ったけどけど、頑張って着こなした)

そこから毎年、franchelippee(フランシュリッペ)、ZUCCa(ズッカ)、ABAHOUSE(アバハウス)、pas de calais(パドカレ)、TSUMORICHISATO(ツモリチサト)、gomme(ゴム)

とにかく、そのセレクトショップが常に推しているブランドのトレンドのコーディネートをプレゼントしてもらっていた。

(余談:私は19歳の時から、父親から貰ったネックレスとブレスレットをずーっと身につけていた。「ヨーロッパのどこかの国では、19歳の時に銀色のジュエリーを父親から贈られた女の子は幸せになるんですって」っていう母の口添えでまんまとジュエリーを買わされた父であったが、私はそれが嬉しくて、ずーっと身につけていた(今は娘に譲っている)。
いい加減、年相応のジュエリーが欲しいと思い、夫に何度か「四六時中身につけられる貴金属が欲しい」とおねだりしたこともあったが、余裕でスルーされたのは言うまでもない)

律儀にも誕生日にちゃんとプレゼントを貰えていたことだけは評価に値するのでは?という小石が飛んできそうだが、忘れてはならないことが一つ!
ポイントは、誰がこのプレゼントを選んでいたのか。

結婚して数年たった頃に事実を知ったが、
夫自身がプレゼントを選んでいるわけではなかった。

ショップのオーナーである先輩に、予算と、妻である私に渡すものだと伝え、文字通り、セレクトショップの店員さんにセレクトしてもらったものを包んで私に贈ってくれていたのだ。(セレクトショップの「セレクト」ってそういう意味?)

夫はそのショップにて
会社の取引先の上司の誕生日にも、ネクタイやニットを…
行きつけのキャバクラのキャバ嬢にも、バッグや靴を…

電話一本でオーダーし、「あとで取りに行くからよろしく」

そんな電話の場面に何度も居合わせたことがあるのでよく知っている。

彼にとって、贈り物をするというのは、会社経費で処理する付き合いの一つでしかなく、妻の私ですら、漏れなくちゃんとそのリストに入っていたようだ。

誕生日のプレゼントってそういうものですか?

プレゼントの醍醐味ってなんだろうか。

贈るときまでのドキドキ、ワクワク感

プレゼントとは、当然、相手のことを想って選ぶものだと思う。
少なくとも、私の中の大前提はそう。

これを貰ったら嬉しいかな。
こういう時に役立ててくれるかな。
おお、センス良いじゃん!って思ってもらえるかな。
え、これ、めっちゃ便利じゃん!って思ってもらえるかな。
うわぁ、俺、意外にこういうのも似合うじゃん!

みたいな。
そういう贈った後の喜びとか驚きとか、そういうことまでを含めた上で贈り物しますわよね??

私はいつも、そうやってプレゼントを選んでいた。

私自身、全くプレーしたことのないサッカーのトレーニングウェアや
ゴルフ用品を彼に贈っていた。
隠れ家的な、露天風呂付きの離れの温泉旅館での一泊とか。

品物であれば、
それを身につけた彼はどんなに喜ぶだろうか。
それを身につけた彼はどれほど格好良くなるであろうか。
経験であれば、
それを体験した時にどれほど楽しんでくれるだろうか。
それを体験した時にどれほど興奮してくれるだろうか。

贈り物やサプライズというものは
受取手の感情一つで最高にも最低にもなり得るもの。
だからこそ、大切な相手であるからこそ、必死になって吟味する。

その点ですら、我々夫婦は齟齬があったようですね。

今年の誕生日、当然だけど、夫からは何もなかった。
わかってる。別居しているんだもの。当然。
円満婚姻当時、俺様的な要素満載でトータルコーディネートしてくれていた誕生日も、もはや普通の日常の1ページに成り下がるわけである。

でもね
押し付けがましい
貴方ではない誰かが選んだプレゼントをもらって
喜ばしい大芝居を打たなくて済むだけ
今年の誕生日は幸せだと感じられた。
(娘と、仲良しの親友夫婦と、友人が祝ってくれた楽しすぎる誕生日だった。)

そう。
貴方(夫)はいつだって居ない。
誕生日だろうと、記念日だろうと、平凡な日であろうと。
今年も居なかった。今日も居なかった。
ただ、それだけ。


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