人生の補助輪
人という文字は支え合ってできていると言われます。支え合うというのは、支える側にも支えられる側にも言葉にならない喜びがあるものです。
でも「手を離したらどうなってしまうんだろう?」
支えあうことには、そんな不安もつきまといます。
そして、支え合うという行為も煮詰めると依存に変わることがあります。互いに「この人がいなければ自分は何もできない」と思い込んでしまうなら、それは依存に他なりません。
体を預けられる存在があれば、本来は安心してより遠くに行けるもの。もし途中で転んでも、無条件に受け止めてもらえると思えるからです。でも、依存は違います。支えられる安心感ではなく、離れることへの不安が芽生えてしまう。そうなれば自分の力で一歩踏み出すことのハードルはぐんと上がってしまう気がするのです。
支えてくれる人は、あなたの人生の全てではなく、大切な補助輪です。一生後ろで支えてはくれないけど、その経験がきっと、あなたが踏ん張れる土台になる。本当に支え合うって、きっとそんな感じです。
そして、支える側の補助輪も怖いのです。わたしがいなくなったら、一人で進めるのだろうか?実は補助輪が一番不安なのかもしれません。
これらはすべて、わたしが大人になって母との関係に感じたことです。大きな支えであり、離れがたい依存の対象。そして母も、今わたしが手から離れることにすごく不安を感じている。
ひとつ言えることがあります。頼れるうちは頼っていいし、支えられるうちは支えていていいのです。急に一人でスイスイ進めっこないし、補助輪だっていつ壊れるかもわからない。その事実を全部受け止めて、今お互いができうることをすればいいのです。
周囲とスピードがあまりに違えば不安になることも多いです。いつまでも前に進めないんじゃないか。補助輪としての支え方はこれでいいのか。でも、母もわたしも自分たちなりに懸命に進もうとしてここまできました。人と比べてガタガタでも、時に空回り、一進一退しながらも、人生で見ればたしかに前進している。
支え合う存在がいなくなることに不安を抱くより、支えられている今だからこそできることを。
できるだけ焦らず、小さな成長に気づきながら。
これからもそうやって、なかなか上手く行かない人生を進んでいきたいと思っています。いつか自分の力で進めるその日まで。