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正しい人間あぶりだシート

「個人目標面談」なるものがあると聞いて驚いた。
前の職場は社長を入れても6人しかいなかったから、会話も盛んで、わざわざ面談をする必要がなかったのだ。
確かに、今の会社に入って会話は自然発生的なものではないと知った。
同じフロアにいても、部署をまたぐとほとんど接点がなくなってしまう。
だから多少不自然でも何か話題を見つけて話しかけてコミュニケーションをとる。
会話や、残業をいたわるきっかけにファミリーパックのお菓子をストックするようになったのも今の会社に入ってからだ。

目の前に差し出された個人目標シートをまじまじと見ていてると、上司が「そんなに緊張しなくても、売り上げノルマの話じゃなくて、働くうえで大切にしたいこととか、もっと個人的な、小さい目標を書いてほしいんだよ」と笑った。

個人的な目標。
なるほど、これは『正しい人間かどうかを炙り出すシート』だな、と思った。

自分の今の状況やポジションを適切に把握したうえで、上司や会社、もっと言えばこの社会において自分が何を求められているのかを察知し、そのギャップを埋めるための目標を立てろ、ということだ。
なんなら目標はきっとなんでもよくて、自分がどういう人間かを適切に把握しているかをみるためのテストなのではないか、と思った。

思わず口に出すと、上司が「うん、全然違うね」とまた笑う。
スルーしても良いようなことも受け止めて突っ込んでくれる上司は優しい。

でも、笑っている場合ではない。
バレてはいけないのだ。

自分が本当は欠落した人間で、さもまともな人間かのように必死に擬態して生きていること。

挨拶の声の大きさは適切だっただろうか?
さっきの何気ない雑談、表情は?相槌のタイミングは?声色は?「ちゃんと」できていただろうか。

皆が当たり前にできていることも、私は必死にならないとできないこと。
たくさんの人と話した日の夜は寝込んでしまうこと。

学生時代、「紹介したい女の子がいてさー、人見知りなんだけど、お前ならいけそうだから友達になってあげてよ」と先輩に言われた時、心の自由を奪われたようで本当はすごく嫌だったこと。

皆、影で悪口を言いまくっていた同級生が亡くなった時、手のひらを返したように「あんなに良い子だったのに…」と悼む声がSNSに溢れて、泣きながらアカウントをミュートして回ったこと。

私のお葬式は、私が書き残した『悼んでほしい人リスト』に載っている人だけが参列できる招待制にしたいこと。

何も知らない、人生の途中ですれ違っただけの人間に一言だって自分について語られたくないと思っていること。

ぜんぶぜんぶ、隠して生きていること。

こんな風に思う自分は、社会で求められていなくて、きっと周囲からは別人のように思われていることも知っているから、現状の自分とのギャップを埋めるために、何を目標に掲げていいかわからない。

結局、面談のタイムリミットも近付いていたので、個人目標シートには「追い詰められたり、自分にできるか不安になった時こそ『面白くなってきましたね』と言う」と書いた。
良い大人が掲げた目標とは思えない稚拙な内容だけれど、逆境に負けないことは社会人として大切な素養だろう。

企画した提案書が中々通らなくて苦戦していた時、満を持して「面白くなってきましたねえ」と言ってみたら、上司も先輩も「皿さんは明るくて仕事がしやすいよ」と笑ってくれた。
こちらこそ皆さんが優しくて仕事がしやすいです、という感じだ。

『本当は明るくなんかないのにね』

なんて声が、頭の中で聞こえる。
だから心の中でもう一度、「面白くなってきましたね」と呟いてみた。










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