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濃度75%のブラウンレンズ
美容室の帰り、ある店が気になり立ち止まる。
これまで何度も通った道なのに、なぜその日だけ目に止まったのかというと、ショーウィンドウを覆い尽くすように派手なチラシが貼られていたからだ。
黄色に赤字で「店じまい売り尽くしセール!!」と書かれたチラシに、吸い込まれるようにして店に入った。
店内には誰もいない。
狭い店内の両脇にずらりとメガネが並ぶ。
民家の一階を店舗にしているのか、ドタドタと階段を駆け降りる音がした。
「ああ、ごめんごめん。今日お休みしてて。全部表示価格から半額だから、見ていって」
店主らしき男性がクーラーのスイッチを押す。
レンズが二層になっている跳ね上げ式の丸メガネをかけていて、どこか宮崎駿のような風貌だ。
定休日なのに入ってきてしまった!と焦る私を「ああ、いやいや、はいはい」といなしながら、陳列棚の引き出しを開ける店主。
表に並べられているメガネとは雰囲気の違うメガネたち。
よく見るとレンズが入っていない。どうやら古いヴィンテージフレームのようだ。
値札を見ると、何十万もする高価なメガネフレームもたくさんある。
半額セールとはいえ、私には到底手が出ない。
その中に一際目を引くフレームを見つけた。
ベッコウ柄で、横長楕円のマットなフレーム。
アランミクリのもので、30年以上前のサングラス用フレームらしい。
実はこの夏、ヴィンテージショップのオンラインでサングラスを買ったのだが、どうにも似合わず結局一度も出番がなかったのだ。
セルフレームのパープルレンズは、今の私には少しカジュアルすぎたのかもしれない。
アランミクリのサングラスフレームは、デザインこそ少し尖っているものの、マットな質感が落ち着いて、今の自分にも似合って見えた。
「素敵!でも…お高いですよね…」
思わず通販番組のアシスタントのようなセリフを吐くと、
「いやあ、もう値段なんて気にしない方がいいよ」と店主が言う。
私の将来の夢は、マイケルジャクソンのように値札を見ずに「This、This、This」と買い物をすることだ。
だが今はまだその時じゃない。怖すぎる。どえらい所に来てしまったかもしれない。
パニックになっていると、「それはね、結構古いからね、もうレンズ代だけ」と店主。
チェーン店くらいの、破格の値段だった。
古いからこそ価格は高騰するものではないのか?というよりも、このデザインと品質でそんな値段、あり得るのか?なんだこのお店は!
驚き悩んでいると、また二階から足音がする。
「こら!文次郎!こっちおいで!」と女性が叫ぶ先に、シュナウザー。
奇跡の出会いに驚いた。
何を隠そう、私は犬の中でもシュナウザーが一番好きなのだ(同率一位でコーギー)。
文次郎は私の足元を興奮した様子でぐるぐると回っていたが、すぐに駆け寄ってきた女性によって確保された。
「もう、ほら、可愛いチェックの首輪しようねって言うたでしょ!」と怒られながら首輪をされる文次郎。
女性は店主に向かって、「おにぎりができたからね、出かけますよ」と声をかけるが、店主は一切答えず、いかにこのアランミクリのサングラスが格好良いのか私に語りかけてくる。
よく見たら、店主の背後のテーブルには何かを煮付けたであろう鍋が置いてあった。
再び駆け寄ってくる文次郎。首輪を付けられたのは、きっと散歩に行くためだったのだろう。
「おにぎりできましたからね!行ってきますよ!」と女性が出ていく。1人で。
置いてけぼりの文次郎。謎のおにぎり宣言。一切気に留めない店主。
どういう状況か全くわからない。
撫でてもいいか許可を得て、文次郎を撫で回すと、ベロンベロンとすごい勢いで腕を舐められる。可愛い。ずっと困り顔なのも可愛い。
なんだかカオスな中で、思わず「それ、買います」と言ってしまった。
色選びのため、目の前にさまざまなサングラスレンズが並べられるが、店主が「このサングラスはやっぱりこのカラーだよ。アランミクリといえば85%くらいの濃いレンズだけどね、貴方はね、75%がいいね」とすごい速さで1枚のレンズを選んでしまった。
こういう時、私はいつも自分で決める。
自分のこれまでの経験も踏まえて、時にはお店の人の意見に背いてしまうこともある。
そうすることで後悔のない買い物をしてきたこともあり、いつも自分で決めることにしているのだ。
でも、今回は言われるがまま濃度75%のブラウンレンズでお願いすることにした。
皿割子になって6年目。
縁が縁を呼び、自分1人では到底できない経験をさせてもらっている。
その始まりはいつも「飛び込んでみる」という行動からだった。
まだ見ぬことへの不安よりも、好奇心に手を引かれて一歩を踏み出すと、予想だにしないワクワクが待っている。
だから、こういう時は飛び込んでみるが吉と知っているのだ。
サングラスの完成は1週間後らしい。
濃度75%のブラウンレンズ、似合わなかったらどうしようか。
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