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褒め力

Aさんという先輩がいる。
部署は違うが、通路を挟んで隣の島に座っているので存在をいつも近くに感じる。
Aさんは無口で、笑っているところを見たことがない。
上司曰く、最近ファッションに目覚めたらしい。
ある日、エルボーパッチのついたミリタリーサンプリングと思しき可愛いニットを着てたので「可愛いニットですね」と思わず声をかけたが、「ありがとうございます」と言ったきり、表情は変わらなかった。
ただの感想だったので、目の前にいたデザイナーの先輩と、「ミリタリーサンプリングっぽいですよね!」「パンツを少し古着っぽい質感のものにしていることで統一感出て格好良いよね」と勝手に盛り上がって話を終えた。

飲み会でAさんと隣の席になった。
Aさんと私の間にほぼ会話はなく、時々声が大きい私が代理でAさんのお酒のおかわりをオーダーするくらい。
蟹がこれでもかと乗せられただし巻き卵の、受け皿にこぼれ落ちた蟹の部分を貪るように黙々と食べるAさんを置いて会話は進む。

話題は「メンバーの良いところ」。
誰かが「めちゃくちゃ蟹食うやん!なあ⚪︎⚪︎先輩の良いところ言うてや」とAさんに話を振った。
表情を変えず、「送ったチャットに返信がないので既読かどうかわからず困ります」と言うAさんに⚪︎⚪︎先輩本人が「おいそれ悪いところやんけ!」とつっこみ、笑いが起こる。

「でも明るいところは誰にも真似できない強みだと思います。上っ面の明るさではなく、⚪︎⚪︎さんが持つのは生来のものなので」とAさんが続けたので、私は笑うのをやめて思わず周りを見渡した。
ほとんどの人はまだ笑いの余韻の中にいるようだったが、何人かは私と同じ顔でAさんを見ていた。
「悪口言われたわ〜」と笑う⚪︎⚪︎先輩が、「なあ、Eさんはどう!?」と再びAさんに話題を振る。

EさんはAさんの直属の上司だ。この流れに乗って上司への不満を吐露させようという悪巧みだろう。
Aさんが「Eさんは圧倒的なカリスマ性で人を引っ張っていくリーダーではありません」と言うと、待ってました!と言わんばかりに笑いが起こる。
相手が上司ということもあり、笑いの渦は一層大きい。
爆笑の波が引き切らない中で、Aさんは「Eさんは人となりが、素晴らしいんです。悪いところが思い当たらないくらいに。メンバーはみんな、Eさんの人柄に憧れてついていってるんです」と続けた。
あんなに大きな笑いが起こっていたのに、辺りは急に静まり返って、みんながAさんを見る。
Eさんを見ると、かけていたメガネを外しておしぼりで目元を拭いていた。
「いやあ、びっくりしたなあ」と笑う口元は少し震えている。
Aさんはそんな空気を気にも留めず、受け皿に溜まった蟹を再びかき込み始めた。

Aさんはきっと嘘をつかない。いや、つけない。
だからお世辞を言うような人じゃない。
みんなわかっていたから、純度100%の言葉の粒がキラキラと輝いて、その眩しさに面食らってしまったのだ。
Aさんは、あまり喋らない。
でも、人を見ている。良いところも悪いところも、見てくれている。
なんだか泣きそうになって、でも入社したばかりの私が泣くのもおかしな話だなと思ったので、ヘラヘラしながら「まだ入ったばっかりですけど、私の良いところありますか!?」とAさんにうざ絡みすることにした。

Aさんが蟹をかき込む手を止めて「人のことをよく見ているところですかね」と言ったので、口元だけ笑ったような形のまま、おしぼりで目元を拭った。



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