見出し画像

ベスがきた


「名前をつけてみたら!」

小学生の時から、夜になると胸がザワザワして、呼吸が浅く苦しくなることがあった。
なんだか黒いモヤが脚のつま先から体を侵食して、胸辺りまで迫って溺れているような感覚。
今思うとメンタルクリニックに行くべき症状だったのだが、当時はそういう知識がなく、ありのままを母に伝えたところ、返ってきたのが冒頭のセリフだった。

得体の知れないものへの恐怖を、名前をつけることで克服せよ、というのが母の作戦らしかった。
とは言っても、形のないものに名前をつけるのは難しい。

現在進行形で心を蝕んでいた得体の知れないモヤに意識を集中させ、どうにかその輪郭をなぞろうとした。

大人になった今なら、特に迷うこともなく「孤独」や「不安」と名付けるだろう。
でもまだ小学生と幼く、どうにもうまく名付けられずにいると、母が閃いたと言わんばかりの表情で「ベスとかよくない?可愛い!」と言った。
こんなに怖いのに、やけにコミカルな響きだ。ペットじゃないんだから。

母に「ベスってどんな見た目してるん?」と聞かれて、なんとなく小さくてずんぐりむっくりで手足が短い生き物が頭に浮かぶ。ベスなんて名前を付けるから。

ベスは夜になると突然やってくる。
事前に約束はできないタイプだな。

ベスがそばにいる間はとても静かだ。
どうもあまりお喋りではないらしい。

ベスがくると体が重くなって、うまく動けない。
ベスもきっと、ナマケモノみたいにゆっくり動くはず。

静かな夜をじっと耐えれば、ベスはやがていなくなる。
「お邪魔しました」も言えないのだから、まだまだお子ちゃまに違いない。

そんな風に思い浮かんだベスのことを伝えると、うんうん、と母は嬉しそうに聞いていた。

小学校高学年になると、私は文章を書くようになった。

ベスが帰った後は、なぜか自分の中の感情が言葉になって溢れてきて、筆を取らずにはいられない気持ちになる。
そして文章を書き終えた時、私はこれまでに味わったことのない高揚感を感じるのだった。

作品を生み出したことによる達成感、文章を書けるんだ!という自己肯定感、次はどんな作品を書けるだろうという期待感だったのだろうが、

当時の私はそれらを“キラキラ”と呼ぶことにした。

ベスは約束もなく急に現れて、マイペースに居座り、気がつくといなくなる。

そして置き土産に、私にとって何物にも変え難い宝石みたいなキラキラを置いていく。

だから私はベスのことを憎みきれずに、この歳になってもまだ一緒にいるのだ。

…という話を大人になって人に話すと、ファンシーすぎると言って皆が笑う。
だから私も「やばいよね〜」なんてヘラヘラ笑ってみたりする。

このエッセイもあのエッセイも、全部ベスと一緒に書いたのにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?