水の手は「シャイ」の極み!私の経験談
こんばんは、藍です。やっと文章かけるくらい気力が復活してきました。
今年の夏は色々噴き出てましたからね。何が噴き出ていたかはまたいずれ、言語化できた頃にでも。
さて、最近は手相の「手の形」の魅力に取り憑かれている私です。手相の皺=線って本当に表層の部分で、実は手の形におおよそのその人の人生の大切な部分が描かれているのでは?とふと思ったのが今年の7月頃。
youtubeも最近は本当に好き勝手にやらせてもらっている中で、「手の形」にフォーカスして生配信をすることも増えているくらい今は「手の形」研究に夢中です。
ちなみに私自身は「水の手」(長方形の手、指が長い)です。
まずは私の根っこに流れている「水」の要素を微細に感じられるように日々いろんなことをtryしてます。中でも一番効果が大きいのは「食事」を変えたこと。
たまたまヨーガの学びを深めていく中で「食事からもたらされるエネルギー研究」を実践中でここ2ヶ月は食事にとても気を配って生活しています。
エネルギーがより微細に感じられるような食事を意識的にとっている中で私の中で芽生えた「私って実は超絶シャイなんじゃねえか?」ということ。
それもそのはず。水の手はあらゆる手の形の中でも群を抜いて「繊細」「ロマンティック」一筋なのでございます。
このことには幼心から気づいておりまして、保育園に上がるまではロマンティック街道一筋で絵本が大好き、静かに自然と触れ合う遊びが好きな幼女でした。人と会ってもまともに話せないくらい。恥ずかしすぎて目が合わせらない。大人子供関係なく、言いたいことが言葉として出てこないのです。
だから絵本や自然や動物に関心がとてもありました。コミュニケーションが一方的にできるものばかり。シャイな人って基本、コミュニケーションが苦手だからつい一人で完結できるものに関心がいくと思います。
保育園にいくようになってからは「パワフルで粗雑な野生児」があまりにもいることに驚愕したのを今でもありありと覚えております。
幼い藍ちゃんは、「こんな中でどうやって生きていけばいいんだ?」ということをまず考え、友達と言うものを作らないとこの中では生きていけるはずがないと言うことで、ずっと家で遊んでいたい気持ちをそっと心の中にしまい、動物園の中のアニマルを一生懸命演じ、楽しめるように心のコントロールをしていったのを最近、瞑想中に記憶として思い出しました。w
どんな環境でも交われば染まるのが「水の手」の素晴らしい才能であり、短所でもあります。私はいつしか自分の中の「繊細さ」「ロマンティックさ」「超絶内向的な私」を奥底に押しやって、「誰とでもどこでも仲良くできる逞しい頼りがいのある藍ちゃん」を自分自身で作り上げていったのです。
私が鑑定や講座、日常会話の中でプラスの言葉のバリエーションをたくさん持っているのも「私自身にかけてきた言葉の数」が圧倒的にものをいってると思います。だって超絶シャイな私が、誰からみても「シャイ」なんて思われないように自分自身に魔法をかけ続けてきたのですから。アファメーション歴何年でしょう、5歳から保育園に入ったので半端じゃないキャリアを持ってる気がします。w 違う見方をすると自分に嘘をつき続けてきたといってもいいのかもしれません。
さて、そんな思い出話はそこそこに、最近はやっと「ああしたい」「こうしたい」という肉肉しい欲望も少し落ち着き出したところで、そろそろ「本質」に近い生き方をしたいと強めに思い始めてきました。
多くの人に認められたい、できれば嫌われずにいたい、と言う欲望はさまざまな挑戦をしたことでようやく「叶わない」ことがわかってきたので、「私自身が私を認める」ことをしない限り、この果てしない旅路は終わらない気がしてます。
そんな時に始まった食事研究を通して、もうびっくりするくらい「神経が繊細」なことがわかりました。その神経の敏感さを誤魔化すためにたくさんの量の食事、刺激的な体験、色々な人と関わり、私のことを知ってもらう、私自身を誰かのために役に立たせることで「神経の敏感さ」を内側に向けるのではなく、「外側に向けて」みて見ぬふりさせてきました。
これまたとんでもないことをしてきてしまったなあ、とこの数週間感じたので、今は休日はあえて予定を入れないようにしてます。突然決まった予定にはいきたい!と思えば行くようにしたり、「〇〇しなければ」と言う概念が強めに出ていれば、決まっていたことでもやめるようにしたり。
そしたらね、人付き合いがとっても少なくなっちゃったんです。休日はずーっと家にいることが多くなっちゃいまして、猫ちゃまと家事と勉強とヨガで休日が終わっちゃうのですよ。笑
大人になってもやることって小さい頃と変わらないですね。
初めのうちはこの地味すぎる休日の過ごし方に、不安と恐怖とやるせなさと、なんかいろんな感情の記憶が混ざりに混ざって、なんでこんなことやってんだろ?こんな時間あり余ってるなら仕事しなきゃ!」なーんて思うこともあったのですが、このモチベーションからくる仕事の作り方はまた苦しみを生むのでやらない選択をするわけです。
一気に時間ができました。びっくりするくらい「暇」な私がいます。関わる人からは「藍ちゃん=いつも忙しい人」ってレッテル貼られてそうですが、今はガッツリ暇です。笑
でもね、この「暇」な時間ができたことで、猫ちゃまの表情が以前とは全く変わってきたり、家の中がピカピカになっていったり、繊細なエネルギーの食事の豊かさを味わえるようになったり、自然の変化が本当に豊かなことに感動したり、こうして文章を書けるゆとりが出てきたり、関わる人とのその瞬間の時間を大切にできるようになったりと、今までやってきたことが一体、どれだけ盲目の中でやってきてしまったのか、自分本位で進めてきたのかを痛感しています。
この人生、節目節目に多くの人に心の中で謝っていますが、今も心から「これまでごめんなさい」と謝りたいです。でも謝ったところで過去は変えられないので、これからの私の生き方をまた見てもらって「水の手」を、「シャイで繊細」な私をどう活かしていくのかを色々な手段でお届けできたらなーと思う所存でございます。
9月からは毎週金曜日に私のホームグラウンドである小田原の「まほらま」で「シャイな私」を活かした接客するべくカフェ店員をやろうかと思っています。どんな接客になるのかは未だ未知数ですが、心に今決めているのは「シャイな私の部分を隠さない、無理して演じない」と言うこと。あくまでも「私がやりたくてやっている」表現の場なので、多くの方にその場だけしかない特別な時間を提供できたらなーと思っています。ぜひ遊びにいらしてくださいね💖
ではまたね!