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幽霊、2024年4月の仕事。

4月の仕事はZAITENの連載コラム。

ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』

5月号は「鳥山明逝去と週刊少年ジャンプの抗争史」

「ZAITEN」5月号
「ZAITEN」5月号目次

……と言ってもタイトルほど物騒な話ではなく、2008年に「STUDIO VOICE」の少年ジャンプ特集で書いた話の延長線上のような話ですな。
あのときは、鳥山明氏の話はあんまりしていなかったからね。

いまは、かなり尖った作品も掲載するwebの「ジャンプ+」とかもあるせいか、漫画系のライター界隈もずいぶんジャンプに肯定的になっているけど、ほんの16年ほど前は、少年サンデー原理主義者みたいなひとばかりだった。

それこそ、業界に入った頃(30年くらい前)なんて、先輩の編集者たちから「いいか? 君が目指すべきなのは80年代の少年サンデー増刊号であって、ジャンプみたいな下品な漫画じゃないんだよ!」と、よく説教を喰らっていたし。
まあ、作っていたのはマニア向けのマイナー誌だったから、そういうものなんだろうけど、「なんでわざわざそんなもんを目指さなければならんのだ?」とも思っていた。

そして、そういう土着信仰のライター陣が、隙あらばそういう論調へ引っ張ろうとするから、できるだけ一人で特集を作らないと、「エログロバイオレンスと人情の少年漫画」というコンセプトの統一が取れない、という面倒な特集だった。
筆者の担当ページ数がやたら多かったのは、そういう理由。
しかし、『P2』とか、「それはあなたがショタ趣味だからでしょう?」とツッコミたくなる、どうでもいい作品を持ち上げようとしていた他のライター陣も、やっぱり鳥山作品への関心は薄かった。

確かに、長いこと「週刊少年ジャンプ」の看板作家だったとはいえ、誌面全体の流れ(特に西村→後藤体制の頃)から見ると、やっぱり異端の漫画家だったんだろうし、特に『Dr.スランプ』の初期は、少年漫画全体で見てもかなりの違和感があった。

同時期に「漫画アクション」『じゃりン子チエ』が、高畑勲が作ったアニメ版の影響もあってか、一瞬、児童向け漫画として扱われたのと似たような違和感、というか。
でも「漫画アクション」は前にも『ルパン三世』、あとには『クレヨンしんちゃん』があるから、ある意味、そういう伝統なのか。
そもそも青年誌だし。

ま本当は『Dr.スランプ』『じゃりン子チエ』『パタリロ!』で子供向け漫画の領域を拡張した1980年の三題噺にすれば良かったんだろうけど、ZAITENの連載コラムは字数が少ないから、そういうネタは書きづらい。

附記徒然。

遠い過去の仕事について、改めてまとめるべきかどうかずっと迷っていた。
……結論としては、もうどうでもいいか。と。
遠い過去の仕事で書いていたマニアックなジャンルを巡るあれこれに、未だこだわっている人々を見ていて嫌になった、というのが正直なところで。
過去の成功体験は、人間の歩みを止めてしまうんだな、というか。

過去を回想するのがコラムニストの仕事なので、請われれば思い出すけど、現在の筆者は戦後サブカルチャー史を掘り返しても、あまりにも些細なところ……当事者の語りしか担保するものがない領域には興味が湧かないので、無理に掘り返す必要もないな、と思った。

当事者の語りしか担保するものがない領域は、結局のところ、勝者がいくらでも都合よく捻じ曲げられる歴史だから、権力とまるで無縁な筆者が書いても蟷螂の斧でしかないのだよ。
だったら好きにしろよ、というのが正直なところで。

あと、サイゾー』5月号、ようやく現物を確認できたので追記。

1月末に入稿済みだった現代ビジネス『時代観察者の斜め読み』は季節ネタで時期を外してしまったので、掲載は年末くらいになる、とのこと。
ずいぶんとスローペースな連載だな。
1年経ったら、たぶん書き直すと思うけど。

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