梅雨がゆっくり夏になる

書くことが!ねえな!

いやいつも書くことないんだけど久しぶりに嘆きたくなったのとそれにつけてもマジでないんだこれ
それでも書いてこそって気持ちはあるから書くけどな!


自分は消極的個人主義な部分が少なからずあるんだけど、それでもやっぱり「共有する喜び」ってものは憧れるし良いものだなって思うの


消極的って辺りで汲んでくれれば嬉しいが、わざわざ言わなくてもわかるでしょなんてする領域じゃないから注釈しとこう
自分の思う個人主義は、「一人でいることは悪いことではない」って程度で「個人であるべき」とか「その方が望ましい」みたいなことを言うつもりは毛の先もないんだってだけだがな!


そんな価値観でもね
経験だったり趣味だったり、そういうのを分かち合うのは良いことで楽しいことと感じるわけさ
別にそれが良いことだから積極的にーなんてはまた自分の主義に反するからそこだけ留意

割と誰もがどこかで覚えがあるでしょ?
大抵の人は好きな物の話になるとお喋りになる
それは他人に広めたいとか知識でマウントを取りたいとか、あるいは外に向けたパフォーマンスみたいな部分があるのかもしれないけど
根幹にあるのはものすごくシンプルに「一人で好きなだけは寂しい」だったりする

別に同じものを好きになってくれなくてもいいし、それで自分が幸せになれなくてもいいし、ただただ話を聞いてほしいみたいな気持ちが転がってたりね


嫌いなものをどう嫌いか共有するのだってあんなに楽しいんだから、好きなものなら尚更だ


やや真面目な話をして恥ずかしいから魔法の話でもしようか

今となってはだいぶ、体系化された一技術って立ち位置が定まってきたと思うの
じゃあ「最初からそうだったか」と考えるとなんか首を傾げるのよね

その漠然とした不思議の底にあるのは、個人的には「不可能」だと思うんだ

「今あるものでは、想像できるものではどうにもできないことを解決するための何か」が魔法

それこそあれよ、奇跡とか祈りなんかと同義語みたいな感じ
ここにはない何かに頼る状況なんてのがそもそもそういうのばかりだし

そんな結論に落ち着いてからはちょっと「技術としての魔法」が苦手というか、陳腐に思えるようになったりならなかったりしてる

扱う題材ひとつにそんな意味を与える作品が存外に世の中に溢れてるの怖いなあ