創作はうつー 序文及び文章の整え方
まずもっての話
(技術面には触れない項です)
そもそもが私、趣味で本を読むのは好きだけど国語の授業は嫌いな子供だったんですよ。
小学校入学してまず学級文庫に「緋色の研究」があったことを喜ぶような子供です。
マセてますねこのガキ。
でも作文は嫌いだし読解問題も嫌い、先生にも不思議に思われていました。
それが二度三度の転機を経て今に至るのですが、詳しくはまたの機会にでも。
ただ単にそんなやつでも今これくらいのものは書けるという話です。大概の人は恐らく少しやれば私より書けるようになると思います、そのためにとりあえず今やっていることをまとめようと思い筆を取りました。
• 文の書き方
最初に文の書き方整え方です。
いや話の考え方から教えろと思う方も多いと思います。
確かに工程の上では間違ってない、話を考えてから文を書く。なので丁寧に追いかけるのであればそれが適切ですね。
しかし、文の書き方をわからないまま話の考え方を覚えても何が出来るでしょう。
例えば、線を思うように引けない人がいたとしましょう、円どころか直線すら満足に引けない人です。その人に絵の描き方を教えてあげると言って構図の作り方を教えたら、そんな話です。
まず基礎を鍛えないのではという考え方で展開します。
日本語の自由度
大前提として日本語は私たちの予想を軽く超えて自由です。
とりあえず、「壁へリンゴを投げる」を例文にして言い換えてみましょうか。
「リンゴを壁へと投げる」(順序の入れ替え)
「壁へリンゴを放る」(語彙の入れ替え)
「全力でリンゴを投げる」(予想による語句の省略)
ざっと出すだけでこれだけ出てきます。軽くでこうなので、ちょっと気持ち悪いです。
しかもそのほとんどを組み合わせることが出来るので倍々算で増えていきます。
語彙の選択基準
ならその自由度からどう選ぶんだ、となりますね。どれを選んでも日本語は意味が通ってしまえば成立しますから。
基本的に私は「音」で言葉を選びます。
なんですその顔は。
「活字なのにミュージカルなこと言い出したこいつ」
なるほど、確かに活字に音なんて関係ないって言う人は多いですね。
なら、何故音なのか。
それは私の本の読み方に関係します。
私は大抵文章を心の中で読み上げています。
いえ、一字一句を丁寧に読み上げてるわけではないですよ。
例えば今、先の例文を思い返した時私の頭の中でそれは「画像」や「文字」でなく「音」で思い返されるんです。なので耳障りの良くない文章なんかは思い出すのもちょっと苦い顔しますね、響きだったりリズムだったり。
綺麗な響きを追いかけていきましょう。
文章と音
また例文を出しましょうか、もう一度リンゴに壁と仲良くなってもらいます。
「壁に向けてリンゴを力一杯投げる」
分かりやすく先の情報を全て網羅した文章ですね。
では、手を入れてみます。そもそもリンゴを投げる必要も無いのに投げているので「力一杯」という意欲を伝える描写を削ります。
「壁へ向けてリンゴを投げる」
少し空気が柔らかくなったのは伝わるでしょうか。
先程まで何の恨みがあるのかわからない少年が野球選手顔負けの勢いで壁にリンゴを叩きつけていたのが嘘のようです。
今はだらしなく暇そうに壁へリンゴを投げています、何がしたいんでしょうね、彼は。
冗談はさておき、描写が減ると雰囲気が柔らかくなります。曖昧になる、と言い替えてもいいですね。
今回の変化の一番大きなところは
リンゴを 力一杯 投げる
リンゴを 投げる
という風に、間に異物が入った影響で表現にタメが出来ていたのが解消されたことにあります。
これは「力一杯」という表現だからこうなったのでは
こんな疑問を思った方は勘の鋭い人ですね、けれどこれはまたちょっと違うんです。
リンゴを 優しく 投げる
伝わってくれるとありがたいのですが、やはり詰まった印象があるのが分かるでしょうか。
「優しく」のはずなのに何故か投げる直前に頭の中で描写が止まって手にズームアップする、そんな光景が頭に浮かんでいれば伝わってますね。
ここで起きてることは主題の変化です。
つまり、「リンゴを如何に投げるか」という観点が「リンゴを投げる動作」そのものへと変化しているのです。
なんということでしょう、壁にリンゴを叩きつけ続けていたらこんな行数になってしまいました。
ただ正直感覚としては今書いたことが全てです。
読み直した時に主題がぶれていないか音で確認する。
これが一番大事です、何より大事です。
お前文の書き方教える言ってたやんけって顔の方、いますよねそうですよね。
正直言いましょう、そこはどこまでも自由です。安心してください。
文法や表現は自由です、間違ってないのなら、しっかりと伝わるのであれば何も臆することは無いです。
最初に日本語は自由過ぎると、言ったでしょう?
整えられれば文章は書けます。