創作はうつー 文章の限界

 まず文章はそうですね、強いです。

 できないことはないと言えば過言ですが、大抵の事はできます。

 できないことの代表と言えばあれですね、視覚トリックや描写トリック。見えているはずなのに気付かない、なんてものは小説では使えません。
 代わりに使われるのが叙述トリックと呼ばれるものですね。書いてあるものか常に真実とは限らなかったり、大切なものが恣意的に薄く表現されていたり。

 ですがまあ今回はちょっとそういう話とは別のところにあります。


 先日の事なんですが。
 私、格好いい女性を題材に一本書こうとしたんです。

 そのときに嫌という程わかったんですが、文章の表現にメリハリのあるインパクトを持たせるのってまあ難しい。

 まず、創作において物に印象を持たせるには受け手が必要なんです。
 わかりやすく例えるならあれです。

主人公を評価するモブ

 なろう系だなんだで流行ったじゃないですか。あれはド下手な表現でしたけど、理屈の上では正しいです。

 カッコイイを表現するとき、それは誰かがその人に対して憧れだったり尊敬だったりを持っているのを上手く表現しないと読者には伝わりません。

 これがカッコイイだろうとそれ単体の説明で声を高くあげても、その創作世界ではそれが普通なのでは?と思われて終わります。

 ちょっとアレな言い方をしますが、映画や漫画なんかでは画のインパクトで印象を与えることが出来るんですよね。
 ほら、見開きとかぶち抜きとかあるじゃないですか。
 あれは周りの反応関係なく「これは凄いものなんだ」と言えるので、ちょっと羨ましいです。

 なので、文章表現で印象を持たせたいならそれに対してどういう感情を周りが抱いていれば自然か、伝わりやすいかを考えましょう。


 今日はそんな話でした。