毎日何かをする、みたいなのは案外嫌いじゃないんだなと

いや、自分としてはそれ嫌いなつもりなんだよ?
「じゃあお前昨年末辺りのあれ何なの」って顔されそうだけども

…なんで出来たんだろうね?不思議だわ

そんなどうでもいいガバガバ自己分析は横に置いて、ちょっとタメになる話をしよう

おうこらお前も重量級なだけとか言ったやつ覚えとけよ

げふん
よくよく自分はそっちの畑にいたからって話をする、哲学と倫理の根本的なお話さ

はいここでひとつ質問だ
「哲学って何?」


口さがない人はソレを考えることがもう哲学だ、みたいなこと言うけども
実際それは半分ほど正解だけど半分ほどは答えれてない

具体的な結論は少し後回しにして、字義をさらっておこう
哲学は漢字の意味としては「すぐれた学問」とまとめるのが正確で
philosophyと英訳してから訳すと「知識を愛する学問」ってのが一般的かしら
それで何がわかるの?ってなるんだけども
正直、何もわからないと思うし俺も全部わかってるわけではない

ならどうしてまず字義をさらったのか
それは「これが一番正確に表現してるから」に他ならないのよ

倫理学もだけど
哲学は一般的に「形而上学」と呼ばれるものに分類される
形而上学とは、そこにないものを考える学問って言えばわかりやすいかな
科学、特に物理とは対極にある学問と思ってくれればいい

主に「哲学」、「倫理学」、「神学」なんかが分類される
その中で哲学が主に掲げるのは
「良いもの、良いこととは何か、そもそも良いとはどういうことか」
そんなものがほとんどかな

ただ勘違いしてはいけないのは、これは「学問」なんだ
だから「良いと思うから良い」ではダメで、そこに客観的な理由が求められる
しかも強烈な客観性がないと「自分は良いと思わないから」で却下出来てしまう学問だから
実際得ることができるのは「考える技術」と「個人と他人の境界線」くらいと言われても、否定はしない

それもあって「哲学という存在しないものを考えることが哲学」って言われ方をするのよね

「水槽の脳」なんかはどうあっても否定しきれないものはあるし、信じる人を説得できないことだってあるみたいなのの良い例かな

ただ、哲学はそういう「否定の仕方を知る」学問ではないのはわかって欲しい
「中国語の部屋」なんかは哲学を良い方面で理解出来る思考実験かしら
ちょっとわかりやすくするために日本語に置き換えて説明するけど

ある部屋に日本語の読めないイギリス人を閉じ込め
「林檎」と書かれた札を窓から入れられたら「りんご」と書き加えて返すように、と紙なり板なりの目視できる媒体に英語で書いて渡しておく
それをいくつかのパターン作り、対応した札だけを入れられるようにする
すると、外から見たらまるで中に日本語のわかる人がいるように見える

なんて思考実験なんだ

これは「知っている」とはどういうことかってのを掘り下げたりする時に使う思考実験なんだけど
暗記で学習して意味を理解していない学校の授業は無意味ではないかって批判にも繋がったりするのよ

「よく知る」とはどういう状態か
「よく知っている」ためには何を知らないといけないか
なんて話だからこれは哲学の領域で扱われる

変な言い方をすると、「全ての学問は良いものを追いかけるから哲学の一部」って呼んでも
まあ過言ではないのよね


こんな感じで哲学は大丈夫かしら?
ザクっとでもわかってくれると、まあ嬉しい


はい倫理について触れましょうねえ

倫理は哲学に比べると、「人に向かった学問」って色が強いのよ

倫理を一言でまとめるとすれば
「人の徳(アレテー)とは何か」を考えること
ってのが割と一般的かしら

個人的には
「eu zen」(善く生きる)とはどういうことなのか
を探す学問って言い方が好きかな

だから学校の倫理では「功利主義」であったり、「社会主義」なんかに代表される
色んな人が追いかけた「多くの人を幸せにするための考え方」を学ぶのよ

ペルソナ(人格)やイデア(理想)について触れるのも
「それを正しく利用したら幸せに繋がる、誰かの不幸を防ぐことが出来る」っていうのからやるのよね

あとはそう、ジェンダーとか命を考えるのも倫理の分野だね


割と哲学よりは範囲が狭いからまとめるの楽だな?

倫理の本質は
「人の不安と幸せを考える」
これに尽きる

だから
上手く教えられる人がいるならこれほど簡単でわかりやすい学問はないと思う