ようやっと?と言うべきか

今日は!今日こそはちゃんと話題を覚えてたぞ!
なんて具合にご機嫌である

じゃあ特に理由もなく唯名論と実念論の話をしよう
最初から堅苦しい内容を?ってなられるかもしれないけどまあ軽くなので許して

まずざっくばらんに唯名論と実念論の説明をば

唯名論はあれやね、「そこにあるのは個人であって人間だとか犬猫だとかの括りは認識の中にしか存在しない」って論理展開をしたやつ
正直自分の周りにいる人の価値観だとこっちのがしっくりくる人多いんじゃないかな

実念論は唯名論に対抗して「括りとしての概念は実際に存在する」とする思考回路
古くを辿るとイデア論とかに行き着くんだけど、唯名論とイデア論が両立しないかと言われるとまた違う気がするのよね

これ案外に男女の性差の話とかも関わるなーって気がするのよ
傾向として男女の差は間違いなく存在するけれど、個人レベルで見ると頻繁にそれは覆るみたいな話で

だから男女なんてのは認識のレベルであるだけでそこにあるのは個人だけなのではってのがね、ちょくちょく言われてる
実際「男性である」、「女性である」をシンプルに個性として考えるのが自分ではしっくりくるし
確実に月に一度体調を崩すことを嫌って男性を雇ったり、男性の声が通りにくいからと女性を雇うなんてのを無理矢理差別だと排除するのはようわからんなってなるし

ちなみにこの話をしてる時に「男性とはこういう感じのもの」「女性とはこういう感じのもの」として頭に浮かべてるそれ、それが「イデア」ってやつだったり
「それそのものが実在するしないに関わらずそれを定義する尺度となる目安」がイデア、だからある意味イデアは唯名論の枠にもあるじゃないかなあ

よし、難しい話をしたからあとは軽い話をしよう!

すごくざっくりと言うと、「好きな人と合わない時どこまで許容するべきか」って話

正直ね、好きな人であればあるほど我慢はすべきではないと思う
そのときを乗り越えれば良いだけの軽い友人ならともかく、数年数十年それこそ一生付き合いのあるような相手であるならずっと我慢し続けることになるんだよ

だから俺が人によく訊く「いつまで大丈夫?」はその発想が元だね

いつまで頑張れるか、いつまで我慢しないといけないか、それを許容できるかってね

だから、「大事な人だから自分が合わせないと」ってのはダメなのさ