創作はうつー 感動とは

 大体これまでの内容は

 作品を作るにはどうすればいいか

でしたね。
 参考になったかどうかは分からないですが。

 今回はその質の話に触れます。ややデリケートな話なので苦手な方はご注意ください。

 まず、作品の質は高い低いと別にウケるウケないの要素があります。

 質が高い作品、パッと思いつくのは所謂「文豪」と呼ばれるような人の書いた作品ですね。一概に全てが、とは言いませんがその傾向は強いです。

 質が高いということはつまり内容がわかりやすいという事です。

 いやちょっと待てそれは違くないか、なんて言いたい方いますね。
 ええ、「質が高い=わかりやすい」を繋げる説明はひとつ足りてません。なのでやや突飛な結論を出してるように見えます。

 あまり先に伸ばして楽しい話でもないですしサクッと言いましょう。

質が高い作品は誤解の余地がないためわかりやすい

 これが実際正確なところです。


 おや、まだ不満そうですね。
 えーっと、質が高いってことは表現が上手いだとか単純に面白いとかそういうことでは無いのか、ですか。

 その基準を全く違うと言い切ることは私にはできません。一理は確かにあります。

 でもその質はゾーニングにかなり左右されるんですよ、それも含めてウケるウケないの話に移ります。


 まず「創作におけるゾーニング」とは何か、ですね。
 そのものズバリを答えるなら

 その作品を誰に向けて書いているか

です。

 そのゾーニングと質がどう関わるのかって話です。

 ちょっと頭の中で想像してみてください。

 ここに児童書と1冊の文庫本があります。
 児童書は学校の先生が生徒のために片手間に書いたような内容ですね、普通に出版しても赤字になりそうなレベルです。
 比較して文庫本は世界規模で翻訳されるようなベストセラーだとしましょう。

 ここで問題です。
 貴方がまだ小学生だったとして、「読んで面白い作品」はどちらでしょう?

 ちょっと意地悪な話ですね、ごめんなさい。
 ただこういうことなんです。作品の評価なんてものは。

 どちらの本がより優れているか、を客観的に評価するなら間違いなく文庫本が優れてますね。
 出版部数もそれに良い評価を下す人も児童書の比ではないでしょうし。歴史に名を残すような名著があるとしたら間違いなくこちらです。

 次に児童書です。
 素人のしかもそれに専念して書かれた訳でもない作品です。売れもしませんし、あまり広まりもしませんね。多分二年もすれば書店にも並ばなくなりますし上手くいっても三版くらいがいいところでしょう。

 でもそれを好きな小学生からしたら間違いなく名著です。

 もし仮に誰かの人生を変えるような作品があるとしたら、きっとそれはこういう作品です。

 ではそれを踏まえて、どちらの質が高いかの話をしますか。

 いくら表現が上手くてもゾーニングが合わない相手にウケる表現だと何の意味もありません。

 大正明治の文豪作品を小学生、幼稚園生に読ませてもただのゴミ扱いされます。
 逆に彼らにとって読みやすい素直な文体をマセた中高生や読書家ぶった大人に読ませるとやたらと批判を始めますね。

 内容についても同じことです。

 結局これは好き嫌いの話なんですよ。
 私はこれが好き、これが嫌い、これはよくわかんないから判断しない。そんな話。
 これを基準に善し悪しを判断しろなんて無茶な話ですよ。

 では質を上げるとはどういうことか、の話です。

 まず誤解の余地を潰しましょう。あと読みにくいだけの表現を潰します。

 読み直して頭カラにしてまた読み直して、何回も試して潰しましょう。とりあえずこれです。

 そして次に、その作品の目的を考えます。

売れたいのかもしれませんし
人の心に残るものを書きたいのかもしれません
自己表現の一環と言う人もいるでしょう

 どれも間違っていません。
 ただ共存は出来ないのでしっかり選びましょう、半端な作品になります。

 決めたのなら突き進みます。
 これは売れないなとか、大衆受けしないな、なんてのを徹底しましょう。
 人に刺さる尖った表現なんかわかりやすいですね。売れたいのなら尖りすぎたものは抜きますし、そうでないなら残した方がいいです。


 要するにアレです、質の決め方を自分で決めてください。
 誰かを笑わせるために作った作品なら、全世界の誰につまらないと言われてもそいつだけでも笑わせられれば満点ですよ。