書く内容?当然のように無いよ!
そんなこと言っても始まらないから多少は考えてきたんだけども、如何せん苦手意識は一朝一夕で抜けるようなものじゃねえよな!
なんて言っててもアレですし用意してきた話題に入りますね
たまにこう、「語源は確実に本質を指しているのにそれを忘れられてる言葉」ってあるなって思うの
例えばほら、日に一回…は多いか?週に何回か「ありがとう」って言うでしょう
あれの語源というか、原意って中学古典でやるんだけど覚えてたりする?
今でも変換したら出てくるしそんな勿体ぶるものでもないんだけど
「有難い」って書いて、「滅多にない」とか「珍しい」なんて意味合いなんよねあれ
それを知った時に割と得心がいったのを結構覚えてる、印象的とか感動というよりかはスッと腑に落ちた感じ
「滅多にないものがあること、起こることにどういう感情が起こるか」ってとこから感謝に転じたんだなと
だから、というにはややひねくれてるんだけども
今の「何でも良い方向にしよう、礼を言われることを率先してやろう」みたいな社会風潮の根底を見るとちょっとゾッとする
ソレはそんなに大事なことなのか、悪を排斥しようとして絶対的な善以外を全部投げ出そうとはしてないか、みたいなのが頭の中でゴムボールみたいに跳ねてるときがときたまね
この国の人は「どこにも無い素晴らしい場所」を「理想郷」と呼んだんだから、一番良いものはこの世に存在しないことは随分前から知ってるだろうにってなるのさ
感謝の多いシーンとか善意の豊かな情景を見て優しい世界とか呼ぶのもたまに見かけるけど、少しくらいは悪意や弱さにも寛容なくらいがやっぱり居心地がいいしちゃんと優しい気がする
「どんな主義主張でも 最後に目指されるのは〝幸福〟のみ」
なんて去年に読んだ作品のセリフにもあったもの
これが正しいって燃え上がるのも良いけれど
その正義や善意の先にちゃんと幸福はあるのか、誰かの幸福を踏みつけようとしてはいないか、みたいなのも考えて生きたいね
たまに自分の正しさで窒息しそうになってる人もいるからさ