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寺とバラ#忘れられないトイレ
最近コンビニへ行って
トイレへ向かった時だった。
張り紙にこう書いてある。
信じられない用の足され方を
される方がおられます。次の
お客様のご迷惑にならないように
ご協力お願いします。
思わずハッとさせられた。
信じられない用の足され方の
混沌とした光景が脳裏に過ぎる。
そして思わず吐き気を催すと同時に
その絶望的かつ諦めが漂った
張り紙の文体に少し笑ってしまう。
でもまあ僕がここのスタッフだったら
たまったもんじゃないだろう。おそらく、
その信じられないザマを写真に撮って
張り紙で晒したろーかという衝動に駆られる
だろう。でもちろんそんなことは
出来ない。どーしたもんだろーか。
するとふとあるお寺での和尚さんとの
やり取りを思い出す。それはもしかすると
何かしら解決のヒントになるのかもしれない。
そのために少し長くなるけど書き進めてみよう。
以前京都の大徳寺という寺の中を
散歩していたときのことである。
用を催し、トイレを探していた。すると
木製のアーチ上の茶室の入り口みたいな
ドアがあるのだがその扉の上に表札が
くっついてあった。そこには、
『東司』
そう書いてあった。
ハ?これは住職の事務所か?いや
でも場所的にトイレっぽいけど、
ってゆーかさ、めっちゃ開けづらいぞ?
そー思い、庭の和尚さんに話しかた。
すみません、ちょっとトイレお借り
したいんですけど・・・、すると
間髪入れず、「トイレちゃう!東司や!」
と軽くお叱りを受け、そこで説法が始まった。
トイレとはなんぞやうんぬんかんぬんと・・・。
いや・・住職・・・。
今、
ちゃうやん?
そうツッこむわけにもいかず
しばらく聞いていたが、
さすがにマズくなったので、
申し訳ないと断りを入れ
その東司とやらに駆け込んだ。
まッたく、しゃーねーなー、
これやサカイに京都人っツーやつはーッ!
開けずらすぎるわ!
そうツッこみながら
ガラガラと扉を開けた。
すると、なんとそこにはローランド様も
驚くであろうバラの花束が
40本くらいおおぶりに束ねられ花瓶に
生けられていた(本当に)。思わず絶句し、
ことばを失った。寺とバラ
組み合わせは奇妙だが思わず唸った。
言うまでもなく、トイレは鬼の仇のように
ピカピカでキレイである。
そして最後にこう思う。
あの時大徳寺の住職さんがトイレ
チャウわと若干おキレになられた
理由がなんとなく分かった。住職は
トイレに・・いや東司にプライドを持って
いたのだろう。なんせあのバラの量だ。
だからというとあれなんですが、トイレに
プライドを持って名前を昇格するくらいの
気概で行けば信じられない用を足す人も
思わず感動してきれいに使おうと
行為を改めてくれるのかもしれません。
今でもあの習慣は続いているのだろうか。
あんな強烈なトイレは他にない。
京都の底力というか狂気を垣間見た
瞬間なのであった。