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土門拳の仏像@東京都写真美術館
その「仏像」の写真からはビリビリとした
妙な気配を感じた。ふと気がつくと耳の上に
スズメバチがとまってた感じで。
それは土門拳の写真で、僕は彼の写真を
生で見たのはそれが初めてだった。
恵比寿駅で降り、しばらく歩くと
東京都写真美術館がある。用事があった
のでそれが終わると、せっかくだからと
中に入った。するとすぐ目に飛び込んで来
たのが冒頭の奈良の大仏の写真だったのだ。
彼はライティングと呼ばれる作業にかなり
気をつかっていた。仏像の周りにライトの
反射器材を設置し、丹念に光と翳のバランス
をスタイリストのように整えていく。
休み用のベンチに腰掛けると、一冊の
本があった。『土門拳の古寺巡礼』という
本で「crevis出版」のアート本だ。ぱらぱらと
めくると横尾忠則さんの論評があった。
『仏像の中に自己を発見する創造の旅』
と題されており、要約すると、1990年に
横尾さんは事故に遭い、都内のある病院で
リハビリをすることになったという。その時
の病院でたまたま土門拳も入院していて、ばったり会ったという筋書きの話だ。その時、会った時の土門拳の眼がかなり鋭く、内面に突き
刺さってくるようだったと書かれている。
『土門さんはカメラを手にしない時も
このように心眼で物を見ているん
だなあと思った。』
というのがとても印象的だった。また
『土門拳は彼の眼を通して心が
語りかける「声を見る」ことができた
のであろうとぼくは想像する。』
その論評を読んでなんとなく、最初に
見た時に感じた妙な気配の理由が
頷けたように思う。
いちばんに気になったところは、彼は
被写体に対峙し、時には語りかけながら
被写体が自分を睨みつけてくる視点を常に
さぐっていたと壁書の説明にあったところだ。
だからか・・ライオンに睨みつけられた
シマウマのような気分にこちらがつい
なってしまうのは・・・。
これで、合点がいく。
何よりも彼の写真を見ていると、心のなかの
感覚が鋭利に研ぎ澄まされるようになれた。
砥石でシュッシュッとメンテナンスされる
感じだ。それで不思議と心の中の日常で
生じる狂った部分が削ぎ落とされ、精神が
おちついてくるのだ。多くのファンに熱狂される理由が何となくわかったように感じた。
◼︎参考URL
◼︎参考文献
『土門拳の古寺巡礼』crevis出版
『』内は上記より引用