ここちよい孤独につつまれ
海外へ行った時に誰かとカフェで話すことになったり、まあ、ちょっと散歩でもしながら観光でもしましょうかと街並みを眺めながら話したりすることがたまにありますが、でもそれはほとんどがアクシデントでたいていは孤独な日々がたんたんとゆるやかに、けれどここちよく続くというのがほんとうのような気がします。
そのようなここちよい孤独につつまれ日々の生活を送っていた時のことです。街中にあるパン屋でパンを、肉屋でハムを、スーパーでチーズを買い、それを重ねて朝飯を食べる。あついコーヒーを簡潔に飲み街中を歩く。空は青く、時間はある。いつも傍にいる相方は孤独と時間と、つましやかな希望であった。うん、大丈夫、きっとなんとかなる。と、あてのない望みを胸に抱きながら、、各地を渡り歩く。その孤独を埋めるようによく本屋に行った。
洋書は読めないから、写真集を手に取り、椅子に座って、読んでいた。今思うと、店主には申し訳ないなと思う。まあ身なりはまあまあこぎれいとも言いかねる格好だったし、髪は肩まで垂れてたし、しゃーねーなー、と思われていたのかもしれません。けれど、おい、とっとと出てけ、ともそこに座んなとも言われなかった。今思い返せば懐の深い本屋だった。今度行ったらたんまり本を買って持ち帰ろう。
その時、読んだ写真集はいろいろあった。ウィリアムエグルストンとか、ロバートキャパとかブレッソンとか、と書くといかにもありふれた感じだけど、というよりほんとうに思い出したい無名の若き写真家たちの名前が思い出せない・・・写真だけが脳裏に焼き付いている。
中でも、ひときわ鮮明に記憶に焼き付いてしまったのがウォルフガング・ティルマンスという写真家だった。タイトルに2人の男女が写っていて女性の方が腕を後ろでクロスさせて肩からだらーんと腕を垂らしているなんとも奇妙な写真集だ。というのも最近箱根のPOLA美術館でティルマンスの写真が来てるというので懐かしくなって思わず行ってきて見てきた。
あいかわらずキレがあるというか、生活の中からきらっと光るシーンを自然と切り取るのがうまいなあというか、写真を見ているとどこか違う惑星でのくらしの中から切り取った風景のように感じられたのは僕だけなのでしょうか。この写真を見ていると、明日からの生活の中での視点が少し変わるような気がする。何か小学生の頃、朝起きた時、今日はどのようなことが待ち受けているんだろうかと思っていたあの頃をなぜか思い出させる写真でもあった。
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・wolfgang tillmans 写真 参考url