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"I'll Sleep When I'm Dead" という歌があったなと

あるインタビューだったのだけれど、初対面の方から、
「あきさんにとって、人生ってなんですか?」
と聞かれた。

一瞬息を飲んでから、答えた。
「暇つぶしです」

え、どういうことですか、という繋がりでインタビューは続いて、笑いを交えながら、明るく楽しく話を終えた。

それから数日、いまだに心がザワザワしていて、ふと気づいた。

そうか、これは「怒り」なのだな。
誤解してほしくないのだけれど、怒りはインタビュアーに対してというわけではなく、その「問い」に対しての。


この1年間、「生」と「死」について何度も自問している。

父のこと以外にも、何かこの巡り合わせは私のせいでもあるのではないかと思うようなことがいくつかあって、うっかりすると生きるということは何だろうという問いに正面から向かい合いそうになって、厨二病でもあるまいし、と避けている。

生まれてきたら、最後まで精一杯生きるしかないし、
生きている以上幸せを求めるしかないし、
そこに疑問やためらいを感じるのは、前提として、ないのだ。

生きることを考えるのは、死ぬことを考えること。


10月に、地元の寺院の盛大な祭りを眺めながら、思った、
古来、人間は「生」と「死」をないまぜにした世界に生きていたのだ。
生まれる子も、成人する前に亡くなることが稀ではない。熊に襲われた人間は、現代の比にならないくらい数知れず。それでも太陽は登るし、人は営みを続けていく。

いつも隣にある「死」を、私たちはいつの間にか対岸にあるように感じているだけかも知れない。


「人生とは何か」なんて、死んでから考えることにします。

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