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エモーションフォーカストセラピー入門(EFT)を読んで

この本に出合ったのは、パレオな男さんのブログでアレキシサイミアの治療に良いのではないかと紹介されていたことがきっかけ。僕は自分の感情を扱うことに関してめちゃくちゃ疎く、アレキシサイミア傾向がかなりあると自負していて、この症状を克服したいという思いと心理療法全般に対しての興味からこの本を読んでみることにしました。僕はいくつかの心理療法を学んだことがあったのですが、どれも理屈を理解する「学問」って感じがして、そこまでわっと驚くような、自分にはこれが必要だったんだ!という発見にまでは至らなかったことが多かった。もちろん、ちらちらと重要だなと思うことはあったけど、「結局僕は何のためにこれを学ぶんだろうか?」という価値観がずっとあった。けどこの本では、体系化した心理療法の知識にとどまらず、「人間はどのような存在なのか?どこに向かっていくのか?感情の何がどう大事なのか?」ということまで詳細に描かれていて、上辺だけのメンタル改善ではなく、僕が進むべき道のレールを敷いてくれてたような感じがした。

まず、EFTが一番伝えたいことは、「感情で感情を変えるということが、感情を変容するための中核的な原則である」ということだろう。感情を変えるためにスキルや理屈などを学ぶことも役に立たないわけではないが、結局のところ人は感情で動く生き物なので、そこを抜きにして語っていると、不適応な感情を変容させることは難しいよね、という、よく考えてみれば当たり前のことかもしれないが、しかし案外見落としがちな領域を掘り下げて解説してくれている。本を読むにつれて、その重要な当たり前に気づけなかった自分がいたことを知ったし、自分の感情とは何かということを理解することを無意識に諦めていた自分の人生の空虚さに絶望して、今まで信じていたことはどれくらい価値があったのだろうという気持ちにもなり、ちょっとショックな内容が多かった。けどショックだったってことは、それだけ自分にとって重要なものだったってことだろう。

「感情回避によって人間としての知性が奪い取られる。何故なら、感情は特定の状況において何が重要なのかを教えるものであり、自分が必要として臨むのもを得るための行動へと人を導くからである。」

EFTは、認知と行動を過度に重視する西洋的な心理療法の流れのなかから発展したものであり、それに対するひとつの答えでもある。一般的に、背景にある感情よりも、認知の方が注目されやすい。それは、認知がより意識的に捉えやすいからである。ー中略ー EFTの実践における核心は、概念知と体験知を区別することにある。人は、知的能力のものさしで測られる以上に賢い存在である。

社会では、理性を持って生きることが知性はある人だ、みたいに思われがちだけど、EFTの感情を回避することで知性が奪い取られている、という言説にはハっとさせられる。そして、体験の重要性や、人間が認知などの知的能力のものさしで測られる以上に可能性のある生き物だということを教えてくれる。理性と感情のバランスが大事で、感情なくして正しい理性は得られないということを学んだ。

感情とは何か?ということがいろいろと説明されるのだが、その中で出てくる「フェルトセンス」という造語が面白かった。

喪失を悲しんでいるというフェルトセンスは、悲しみ以上のものである。例えば、愛する人がもういないという感覚、自分の人生における故人のかけがえのなさや特別だという感覚などである。フェルトセンスと感情は異なる。感情は特定の状況に対するより生の反応であり、独自の繊細さがそれほどないとした。

こういう造語を見ると世界の解像度が上がってワクワクする。こうして内的な体験を分けることで、自分の体験をうまく言語化して意味のあるものに変えていくために役に立ちそうだ。そう、この本では、自分の感情をまず理解し、受容した後に、意味のある語りに変えていくことの重要性が書かれている。

実存療法は「意味への意志」を人間の基本的な動因と提唱し、EFTは意味の創造を人間の中心的な機能とするこの視点を取り入れている。

私たちは自らの知覚によってつくった世界に生きており、知ることは常に現実を直接的に知るのではなく、むしろ現実を構成し、それに近づくことを意味する。この見方は、人が何かを知るということの本質を表している。人は自分自身を発見する自己の創造者である。

「生きる意味はない」という言説が現代では流行っているけど、人間が生きる上で体験することに意味を付与していくという作業はめちゃくちゃ重要なことだとこの本を読んでわかったし、よく考えると、何も意味なんてないとニヒリズム的に生きることが正しい生き方であるなんて誰も言っていない。「生きる」という大きな主語で人類いにとって何が意味があるのかという問いと、「私にとってのこれは」という小さな主語で意味を生産し続けるプロセスを区別して考えなくてはならない。人は、自分自身を意味のあるものとして解釈し続けるプロセスなのだ。

EFTは、自分の感情に気づかないってどういう状態なの?という問いに対して答えてくれているのだが、ちょっと難しくてなんとなくしかわからなかった。

例えば、「自分は怒っていたけどそれに気づいていなかった」という状況があったとしよう。 ー中略ー EFTでは、妨害されている怒りに気づくというよりも、体験の構成要素は首尾一貫したひとつの全体へと組織化されるプロセスにあると考える。 ー中略ー 身体的に体験されたフェルトセンス自体はそこにあるが、感情はそれが組織化されたものになり、象徴化は、多かれ少なかれ、今そこにあるものと一致する。

人間の意思決定は複雑で、その複雑さが全体に統合されることで何らかの意味のある感情になるわけだから、感情とは何かを考える時に感情だけを切り取って考えることはできないよね、みたいなそういう話だと思うんだけど、(一応chatgpt君にも〇貰った)で、結局感情に気づくためにはどうすればいいんじゃいってのがよくわからなかった。まぁ多分、一次感情と二次感情を分けるとか、フェルトセンスを理解した後に感情に接触するとか、「新しい意味の創造」と関連したりとか、そういう感じかな?とざっくり理解している。

この本は今までの心理療法で一番難しくて、理屈はわかったような気がするけど何かしっくりこない、みたいな部分も多かったので、実践マニュアル的なのもまた読んでみたいと思う。実践することでアレキシサイミア傾向も治療に近づくと思うから。まぁグリーンバーグ先生(著者)のセラピーを受けれれば一番良いんだけど…。でも、こういう本を読んで嬉しいなと思うことは、金とか名誉のためではなく、純粋に研究がしたいという気持ちで本を書いたり、新しい発見を日々楽しみながら臨床の場についている人を見ると、この世もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思えること。大切な知識が増えるだけでなく、人を好きになるきっかけを与えてくれることも、心理療法系の本を学ぶ良いところだなぁと感じる。ありがとう、グリーンバーグ先生。

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