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「出来ない私」が居てくれたから、「出来る私」を見つけられた

私は人と話すこと、集団に所属することが出来ません。

でも、そんな「出来ない私」を消したり、追い出したりしようとせずに、「出来ない私も、居てもいいよ」と自分の一部として招き入れてあげたことで、今度は自然と「出来る私」を見出せるようになりました。

今日のテーマは「出来ない私」について。

サクッと読める短めの記事に挑戦です。


コメントを貰うと、少し怖い

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最近、ありがたいことに、よくコメントをいただきます。

noteを開いて「〇〇さんがあなたの記事にコメントしました」という通知を見た時、正直、いつもビクビクしてるんです。

否定的なコメントが来てるんじゃないかって。

多分それは、かつての私が、今の自分のような生き方を否定していたからだと思います。

「好きなことをして生きていけるわけがない」

「お金は我慢して、辛い思いをしてもらうもの」

「人生が楽しいなんて、絶対に嘘だ」

2年くらい前まで、こんな風に思って生きていました。

私は利益目的のハンドメイドを止め、「ハンドメイドを楽しみつくそう!」と決めてから半年で、急激に性格が変わっています。

なので今の自分の行動力や思考に、自分でついていけないという矛盾が生じているんです。

noteもコンサルも「始めて間もないから怖い」というのもあるかもしれませんが、それに加えて、「今まで一緒に生きてきた自分の生き方」が原因になって怖がっている部分もあるかもしれません。


「出来ない私も、居てもいいよ」

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しかしフタを開けてみると、予想とは全く違うコメントが来ていてホッとすると同時に、すごく嬉しくなります。

私みたいな考え方をしていたのは私だけじゃないという安心感もありますが、書き続けていたことがハンドメイド作家さんだけじゃなく、生きづらさを感じている人にも届いているという事が嬉しいんです。

私が生きづらさを感じ始めたのは、小学校3年生の頃からでした。

東京から仙台に引っ越し、新しい学校での生活が始まると、私は「人と会話がかみ合わない」ということに悩まされるようになったんです。

最初は「新しい場所だから仕方ない」と思っていたんですが、1年経っても、高学年になっても、中学生、高校生…社会人になっても、その違和感は消えなかった。

「いつか消えるだろう」と思っていた違和感は、結局ずっとありました。

でもうつ病を機に、「この違和感は、私に『出来ないことがある』ということを教えてくれているんだ」と捉えるようになって、その違和感と手を繋いで生きていくことに決めたんです。

今まで「そんな訳ない」「いつか消える」と、自分の外に追い出そうとしていた違和感を、「そこにいていいんだよ」「一緒に居ようね」と受け入れました。

「人と会話がかみ合わない」というのも、「私」と言う人間の一部だったんです。

それならば「仕方ないなあ」と笑って、「出来なくてもいいよ」って言ってあげるしかない。

端的に言えば「諦め」ですが、見捨てるわけじゃありません。

「出来ない私も、居てもいいよ」って許してあげること。


「出来ない」があれば「出来る」もちゃんとある

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私は出来ないことをやらない代わりに、それ以上に楽しく生きていけそうな「出来ること」を探すようにしています。

例えば「集団に属することが苦手(というか、無理なんです…)」を認める代わりに、「大好きな一人の時間に何が出来るか」を探しました。

そうして見つけたことがハンドメイドであり、noteであり、ハンドメイド作家ビギナーさん向けにやっているコンサル(LINEで行っています)なんです。

私には出来ないことがいっぱいありますが、その分、出来ることだっていっぱいあるって信じています。

自分の出来ないことを認める(「出来ない私も、居てもいいよ」と許して、追い出すのをやめてあげる)と、不思議と自然に「あれ?私、こんなこと出来たんだ!」と出来ることが見えてきました。

影があれば光があるように、夜が過ぎれば朝が来るように、人間も、「出来ない」があれば「出来る」もちゃんとあるんです。


「出来る」と「出来ない」はパズルと同じ

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私は集団に属することが出来ませんし、直接会って話をするのも苦手ですし、部屋の片付けも得意ではありません。

でも、文章を書くのが好きですし、毎日コツコツ行動を積み重ねること(noteを更新する、Twitterを更新するなど)も得意ですし、直感を活かしてアクセサリーを作ることも出来ます。

苦手なことを必死になって克服する必要って、案外無いと思うんです。

それよりも「出来ない自分も居ていいよ」と認めて、「こっちにおいでよ」と笑顔で「私」という人間の一部として仲間に入れてあげる。

そして「これは出来ないけど、何なら出来るんだろう?」と「出来る」を探して、磨いていく。

私はそんな考え方をするようになってから無理なく生きられるようになりましたし、自分が本当は持っていた「出来る」のお陰で、今日も生きることが楽しいです。

それと、自分が苦手な事でも、それは「他の誰かが得意な事」だったりするので、1人で何でもこなそうとするんじゃなく、色んな人の「出来る」と「出来ない」をパズルのように組み合わせられる世界になったなら。

世界はもっと、やさしくて楽しいものになるんじゃないかなって思いました。


(40分くらいで書けました!やったー!)

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