森のこと、覚書として、ひとつの考えとして
今日は月にいちどの、森で知り合った樹木医の友人とのランチ会。
この夏あたりから、森のことを伝える時のことばを持ちたいと思っていて、その話をしました。
「この森を手入れしないと、森はなくなっちゃうのか」
という素朴な(大人からの)質問に
「里山という場所は、もともとあった森を人間の都合のいいように作り替えたわけだから、その責任を負って、人が手を入れ続けた方がいいのでは」
と答えた記憶があります。
果たしてそれでよかったのか。
友人のこたえは明快でした。
別にどう答えても、正解はない前提で…
人間が手を入れなくても、森は勝手に再生する力を持っている。
地球(上の人間がいる世界)は、まんじゅうの皮のようなもの。皮をはがせばいいだけ。
地球自体はなんにも困らない、困るのは人間。
しかし里山は、原生林や天然林よりも、多様な生物が住んでいる。
里山を維持するのは、その固有種たちを守る意味でもある。
なるほど、でした。
そう、林相が変わって、鹿の食害が増えて、ナラが枯れても、
困るのは人間。
これは私も口にしてきたし、他のところでも話題になること。
ナラは枯れてもほうっておけば、また別の植物が生えてくる。
が、里山に人が入るとなると、その枯れた木を放っておくのは危険。
土砂崩れの原因にもなりかねない(このあたりの詳しいことは省略)。
だから里山を利用させてもらう人間は、手入れをする必要がある。
また、里山には、もっと深い山や森と里との緩衝地帯の役割もある。
動物たちは山や森に住んでいて、里におりてはこなかったのは、里山があったから。
里山がなくなると、動物の世界と人間の世界が直接交わることになりかねない。
お互いの緩衝地帯として、里山を維持し続ける意味がある。
こんな話をしました。異論反論あるかもしれないけれど、ひとつの考えかたとして、記録として残しておこうと思います。