すべては有限である。
幼い頃、わたしは友達作りが下手だった。
家に帰ったら友達と遊ぶって事よりも、探検したり基地を作って遊ぶ事が大好きだった。
わたしが幼き頃の父はトレーラーの運転手で、重機会社の広い敷地内の社宅に住んでいたため
ブルトーザーのヘッド部分とか、コンクリートの大きな土管とか、そこらへんにゴロゴロしていた。
そんな訳で、不要重機を基地にしていた。
冬になるとブルドーザーで雪をかき集めてくれてミニスキー場を作ってくれたり、近くには大型ゴミの集積所もあったので、コレは!と思うものを拾って来ては基地内のインテリアにしていた。
木製のイスを拾って来て赤いペンキを塗って、アンディーという人形を座らせては眺めてウットリしていた。
野花を積んでは生けたりもしていた。
そんなことを小学生でやっていたんだ。
いま思えば、なんという才能だろう。
あまりにもステキに出来たので、家の中に持ち込もうとしたら母親にそんな汚いもの入れるなと怒られたっけ。
でも、どうやって赤いペンキを入手したんだろう?それはサッパリ覚えてない。
ある時は、野良猫を拾って来て基地の中で飼ったりもした。
ご飯をせっせと内緒で与えていたんだけど
すぐいなくなってしまった。
またある時は大きな発泡スチロールを大型ゴミ集積所で手に入れて
近所のガキどもらを束ねては、池のあるところまで運んでくり抜いて船にして遊んだ。
これもドッカのオヤジに見つかって、こっぴどく叱られた記憶がある。
中学の時は、一時不登校になった。
自転車通学をしてたんだけど、学校に行くフリをして行けるところまで行こうと冒険していた。
このままどこか知らないとろへ行きたいといつも思ってたはずなのに、
結局は家に戻っていた。
子供というのは実に不自由だ。
その不自由さ縫うように渡り、諦めてはまた探し、探しては制限に掴まる。
そうやってわたしたちは成長してきて、いま充分な大人になって、
コ◯ナのお陰で、幼かった日の不自由さに想いを馳せる事が出来た。
この不自由さこそが、新しい事を産み出せる「兆し」なんじゃないだろうか?
高く飛ぶには、1度身体を沈めなきゃならないように、
離陸するには、向かい風がなければ飛び立つことが出来ないように
やっぱりドチラか一方では成り立たないんだ。
だからこそ、全員にチャンスがある。
全員に!!!
1日だろうが、1月だろうが、1年だろうが 限りがある。ずっとこのままでは無いはずだ。
やがて、何かのカタチで終わる。
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「時間割を作ろう」
ホント、ホントこれ!仕事してなくてもなんかあっという間なんだよ。時間が。
やりたいこといっぱいあるのにさー!
マジで時間割作ろう。
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