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お茶でもどうぞ|2025.2.6日記
学校で何をするでもなく、廊下で友だちと話してやりとりして、休み時間のツギハギのような余白をすごす夢。心地よかった。
少し前に仕込んだ柚子ジャムやタバスコにカビが生えていたのだが、今日はドクダミティンクチャーにカビが生えていた。
循環、腐敗いずれにしてもきづき、如何様にも施せるわたしは、生きているんだなぁと思う。また、夏辺りにドクダミティンクチャーを仕込むとする。
糠床を混ぜる。昨日糠を補充したので、セロリの頭のほうは浅漬けになっていて取り出した。蕪、大根、人参、胡瓜が漬かっている。
最近胡瓜、大葉が無性に食べたい。清涼感を欲しているのだろうか。
お茶時間は佛手か古樹熟小沱茶かと迷ったが、岩茶にした。
熱熱と少し冷ましたもの、茶器の違いをみる。今日は渋み、苦味を強く感じる。美味しさもあまり感じない。
そもそも(観察する。何が何でも。)の意地になっていて、あまりお茶を欲していなかったのかもしれない。
自分に(何が何でも。)なんていうきもちがあるのかというきづきと、感じたことにきづく視点と、どちらも今の自分に必要だなと思う。
書を書く。
ノートにパステルピンクのボールペンで何の文字を書くでもなく、ただ、筆先を手の赴くまま滑らせていく。子どもが形を並べるように。意味はないのに満ちていく。
井戸水で墨を磨る。
天真五想を一つひとつ、めいっぱいする。
「ウ」は0、ゼロ、無の体感。
「ア」は肚や丹田の開閉、詰まりが流れる。
「エ」は胸や肩甲骨が開く体感。
「イ」は第6、7、8以上のチャクラが開閉し流れる体感。
「オ」は受け取った全てを解放する、還元する体感がある。
右腕が痛んでいたのだが、何の痛みもなく流れているのを感じる。
椿と山茶花に会いに行こうかと思ったが、ひなたぼっこをして時が過ぎた。
夕食は中華とパフェのあるファミリーレストラン2軒はしごした。
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パリパリ、こっくりとろ〜り、甘酸っぱい苺、サクサクほろほろ、ひんやり冷たい…。
食べすすめていくごとに新たな表情を魅せ続ける。かつ、ただ甘いだけじゃない、苺の"ここにいますよ"と、そのものの存在が凛と引き立っている。
わたしはこういう細やかで繊細なレイヤーやグラデーションを感じられた瞬間に出逢うと、満ち満ちて嬉しくなるし、喜びが湧き出る。
半年前に注文したナッツが届く。待ちに待った。
カシューナッツ、マカダミアナッツ、アーモンド、胡桃、プラリネ。
そのどれもナッツ特有だと感じていた油っぽさや湿った歯ごたえは一切感じない。むしろ歯が当たる瞬間に、プリンと弾けるようなハリと弾力がある。まるでパンパンに膨らんだ風船に針を刺した驚きような感触なのだ。なんなんだこれは、一体…。
これまで食べていたナッツも勿論ナッツだったのだろうけれど、概念そのものが変わる、いや、概念ってなんなんだ…そう思ってしまう体感だった。
今日もますます、ごきげんな一日を◯
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