お茶でもどうぞ|2025.1.27日記
二度寝してアラームで起きる。
ストーブを点けて白湯を沸かし、糠漬けを混ぜて人参を取り出した。
床拭き掃除終えてお茶を頂く。昨晩の台東肉桂の出涸らしに湯を注いでみる。ただただ好奇心と探求心一心でお茶を煎れる。
今朝は、「美味しくなくなった」と感じたところがおしまいだった。
昨日の紙漉きで初めて出会った方々とご挨拶してお別れする時に、「これ、お土産に!」と麹やお酒のパックを頂いた。(7枚入り1週間分!)
「ちょうどパック欲しいなと思っていたんです!」とお伝えした。思い当たることを伝えるって、こんなにきもちがいいんだなぁ!と独り密かに感動していた。
また別の方が「これ地元で老舗のみそまんじゅうです!」と頂いた。
道の駅で絶妙なタイミングで入れ替えられた茶葉とお湯で煎れたお茶とで、お茶時間でほっと一服愉しめた。
わたしたちからは、白えびせんべいを。
なあんにもしていなくても(あるといいなぁ)と描いたものが差し出される。
内に触れ、感じることに耳を澄ませることに引き続き、集中します。
ちなみに昨晩パックしたら、目の周りや口周りの肌がしっとりもっちり艶々して、きもちも上がった。
昨日の紙漉きについての日記はこちら▼▼▼
今日から花摘み、花束ねは新体制だった。
花は1種類の花を摘むのだが、色が20色ほどあり色によって花が大きい・小さい、茎が太い・細い、花弁が些細で繊細なものなど、性質が異なる。
自分の今の最善な状態で、摘み、束ねる。
赤い花は花弁が取れやすく「こういう花は一度撫ぜてから扱うといいよ」と教えて下さった。
教えてくれた方は、一体何をどうやって会得・体得されたのだろうか…と馳せた。
そのものを敬い、生かす心持ち、だろうか…。
わたしは解が欲しいのではなく、自分にとって完全フィットする言葉は何かと、内に問うている。
内と外との対話のなかで、砂遊びで川づくりをしていて全く別々の場から掘り進めていくうちに、きづけば道が貫通し、水が注がれたら川が流れる。
そういう今いた場から全く別の景色、世界、遊びへ発展する面白さがあるなと思った。
今日もますます、ごきげんな一日を⚪️