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『偽る人』(揺れる) (第74話)

施設の準備(2)

 毎日房子の部屋から出していたゴミは、ビニール袋や紙袋に入れて、とりあえず、台所のテーブルの下に置いていっていた。
 房子のゴミは資源ゴミが多い。燃やせる普通のゴミと仕分けしなければならないし、名前がついていたり、大事な物もあるので、いちいちチェックしないと、うっかり捨てられない。それが億劫だった。時間もなかった。
 けれど、翌日が燃やせるゴミの日、思い切って整理して、チェックしていった。すでに夜になっていた。
 紙袋につめたゴミの中には、いろいろあった。どれも、房子に確かめると、捨てて、と言われたものばかりだ。
書き損じの絵手紙がたくさんあった。デイケアセンターで書いた習字の紙も何十枚も、束になってあった。
房子の絵手紙は上手だけれど、習字はへたくそだった。自分でも苦手にしていたように、房子の習字は、小学生が書いたようにも見える。何枚も何枚も、練習したのだろう。その光景が浮かんできた。
工作した残りもあった。センターのお便りも、四季折々の行事の写真もあった・・・。
見ているうちに、涙が流れてきた。
房子は人柄が悪く、ダメな人だし、嫌いなところばかりだ。気が強くて、根性が悪く、見栄っ張りだ・・・。
でも、房子は恭子に怒られながらも、ここでささやかに楽しんでいたのだ。あちこちで、楽しみを見つけて生きてきたのだ。
ダメな母親だけど、私はもっと寛大になれなかったのか。許して見守ってあげられなかったのか。
なんということをしてしまったのだろう・・・。
突然悔やんだ。どうしようかと思った。
でも、でも、もう後戻りはできない。
たくさんの資源ゴミを束ねて、袋にしまった。とても捨てることなどできなかった。
 
 房子の部屋に、いつものように湯を入れたポットを運んで行って、ベッドに並んで座ると、思わず泣いて房子を抱きしめた。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう・・」
と泣いた。
 房子は、
「私がわがままで、・・・・だったから、いいんだよ・・・」
と、やさしく言った。
「そうよ。おかあさんがいけないのよ。気が強くて、話ができなくて・・・」
言いながら、泣いた。
「これは、わがままな私に、神様が与えた試練だよ。ひとりになって、反省しなさい、という・・・」
こんなことを言う房子も珍しかった。
 恭子は泣きながら、かつらをとった房子のはげた頭をなでた。骨ばかりの、ごつごつした肩や背中をなでた。
 涙が止まらなかった。
「施設が嫌になったら、いつでも帰ってきて。私に叱られても、ここが良かったと思ったら、いつでも帰ってきて」
と言った。
「最後までのお世話は、何でもする気でいたんだから・・・」
 房子はうれしそうに、うなづいていた。
 本当にそんな日が来るだろうか。
 施設に行って、すぐに死んでしまったり、ボケてしまったり、弱ってしまったりしないだろうか。
「おかあさん、長生きしてね」
心から言った。
「充分長生きしたよ」
と、房子は言った。

 あぁ、もっと我慢できなかったものか。
 もとに戻りたい・・・。
 施設に訪ねていったら、どこかに連れ出したり、いろいろやってあげよう・・・。
 恭子はずっと、目が腫れるまで泣いていた。

 それから一週間ほどして、施設に入居する日が目前になった。
 房子は最後のデイケアに行ってきた。
 いつものように、張り切ってきたのだろう、帰ってくると、疲れて意識が朦朧としているのが分かった。
 その後、介護用品の人が、レンタルしていたベッドの手すりや押し車などを回収しにきた。この若い男の人は、本当にやさしくて、気立てがいい。
 それから、ケアマネが挨拶にきた。
そうしているうちに、時間がどんどん無くなっていった。

 房子は前日にも、絵手紙のお友達のひとりと、朝からバス停で待ち合わせて、ランチを食べてきた。帰ってくると、一日死んだようになっていた。

 夕方には最後となる内科に行って、薬をもらい、施設に来る医者に出す紹介状をもらった。
 こうして、施設に行く準備はちゃくちゃくと進んでいる。
 房子が置いていく衣類の整理はなかなか終わらなかった。防虫剤を入れたり、虫干しをしたり、あまりの多さに気が遠くなりそうだった。
 相変わらず、房子は恭子が衣類を整理するのを見ても、あまり喜んでいない。
 やりづらいので、途中で放棄すると、房子は夜中に少しだけ、片づけたようだった。
 それでも、ほとんど進んでいなかった。

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登場人物紹介

恭子:60代の主婦。兄嫁と折り合わず、家を飛び出してきた実母に苦しみ、「反感」と「情」の間で心が揺れ続ける。

卓雄:恭子の夫。定年間際のサラリーマン。

房子:恭子の実母。気が強いが、外では決して本性を出さず、優しく上品に振舞う。若い時に夫(恭子の父)を亡くし、塾を経営して蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。

幸男:房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が多かったが、房子に溺愛され、生涯援助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塾の講師におさまる。

悠一:房子の実弟。房子とかなり歳が離れている。

やすよ:幸男の嫁。人妻だったため、結婚には一波乱あった。房子は気に入らず、ずっと衝突し続ける。

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