個を見るのって人間の性質的にものすごく難しいのかもしれない
病気に限らず、しんどい経験を人に話す時、
「私の友だちもそうだった」
「知り合いの娘さんもね」
という返答がたまに来る。
マイノリティに限らず、近しい人の死のような経験者が多いであろう内容に関しては特にこの傾向が強いように思う。
しんどい経験を聞く時って、どう聞いたらわからないんだよね、正直。それはよくわかるよ。
傾聴、共感、受容とはいうけども。(実際、セミナーとか受けて傾聴ボランティアやってる人たちでも「それ傾聴してないよね?」「共感してないよね?」「受容してないよね?」みたいなのは往々にしてあるけど。でもそれがシステマティックになると一気に話す気失せるという面倒な性質もち)
百戦錬磨の専門職ならまだしも、話し手が欲しいリアクションを100%取れる人なんてまずいないと思ってて。
でもさ
それならさ
……黙って首縦に振ってうんうんって聞いとけば良いのよ。
ましてや「あなたの経験と十把一絡げ」にするのは、少なくともそれは今の段階じゃないよ。
『あなた』に『私』の話を聞いてほしいなのよ。
顔も見たことがないあなたの知り合いのことを話されても、話し手は共感できる余裕や心持ちになってないから結局不完全燃焼で終わるのよ。
満足するのは聞き手ね。最悪なのはそれで自分の経験だけ話して、時間が解決するだの、だから落ち込まないでだの、今は泣いても良いだの。
それは、違うのよね。
話し手も自分が話を聞いてもらってどうされたいかわからないこともあるだろうけれども、あなたに話したことそれ自体が、話しづらいしんどい経験を話しても良いと思った聞き手への信頼の証だったりするのよ。
だから、「ああ、あの人も同じだな」と聞きながら頭の中で思うのは自由ですが、それを口にするのはグッと堪えてほしい。
あと、専門職や傾聴ボランティアさんに言いたいことは
「バイスティックの7原則思い出して実行してください( ´∀`##)」
以上!
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