人を育てた人が評価される時代へ
最近、若いって言われてる人たち(40代以下)の方が変わるのを嫌がってる感じがする。
自分より上の世代の人たちが享受した旨味をなんで俺たちは受けられないんだ!おかしいじゃないか!みたいな。
上の世代の人たちの常套句「昔はよかった」の様子を聞くとそりゃそうだよなって思う。
上の世代の人たちが享受した旨味って、戦前戦中の人たちが今後の日本のためにってつくってきた土台があるからこそだったと思う。
戦前戦中の人たちは文字通りゼロから、むしろマイナスからものすごいパワーでもちあげてきたんだよね。
みんな大変だったっていう良い意味での同調圧力があったから歯食いしばってみんなで明日のために進んでくださった。
変わるのを嫌がるなんて言ってられなくて、進んでいかざるを得なかった。
段々先細りになってる感は否めない。
個人主義、価値観の多様化っていうけど利益はやっぱり頑張った人たちだけが独占しちゃって、みんなには分配されない。だって個人主義の時代だもん。頑張ったのはその人たちだもん。
自分より上の世代の人たちが享受した旨味をなんで俺たちは受けられないんだ!おかしいじゃないか!みたいな。
上の世代の人たちの常套句「昔はよかった」の様子を聞くとそりゃそうだよなって思う。上の世代の人たちが享受した旨味って、戦前戦中の人たちが今後の日本のためにってつくってきた土台があるからこそだったと思う。
戦前戦中の人たちは文字通りゼロから、むしろマイナスからものすごいパワーでもちあげてきたんだよね。
想像を絶する苦労だったと思う。。。だけど、みんな大変だったっていう良い意味での同調圧力が土台にあったから歯食いしばってみんなで明日のために進んでくださった。
変わるのを嫌がるなんて言ってられなくて、進んでいかざるを得なかった。
段々先細りになってる感は否めないんだよね。
個人主義、価値観の多様化っていうけど利益はやっぱり頑張った人たちだけが独占しちゃって、みんなには分配されない。だって個人主義の時代だもん。
頑張ったのはその人たちだもん。
誰だって自分たちの稼ぎをとられるのは嫌だもん。
戦中と今はあまりに比較にならないけど、先が見えないっていうのは似てる気がする。
もちろん当時を知ってるわけではないけど、「今日は明日よりきっとよくなる」って言葉を昭和のスローガンで聞く。
今は「今日頑張っても明日が本当によくなるかなんて誰にも分らない」だ。頑張るのが馬鹿らしくなる。
「頑張る」っていうガムシャラ感に徒労感しか感じなくなる。
個人主義によって自分の得意や好きなことを自分のリスクの範囲で立ち上げて成功する人たちが多く出てきている一方、やらない人は馬鹿だ、という自己責任論は根深い。
自分で投資を、という姿勢はそれだろう。
できる人とできない人との差が拡大している。
ここの格差の是正できないことには、本当の格差是正にはならないと思う。
その対策として考えるのは、いわゆる地域で成功している人たちの第一歩をどうしたか聞いて、真似られるような・併走できるような環境の整備。
丁稚奉公制度とでも言うか。
結果の再分配は再現性が乏しい。
よく言われる「魚の釣り方」を教えてもらえる場所を増やしてみると良いと思う。そこに助成金なりを投入してほしい。
例えば地域に空き家をいくつか市が借りて「ここを拠点にいろいろやっていいよ。ただし、何人か修行させることが条件ね。評価は片方だけじゃなくて両方からとるからね。」みたいな。
講演や一時のワークショップだけじゃ、受けて満足になる。自分はなったw
もう既にやってるところはあるのかもしれない。
人を育てる余裕なんてない、というのは確かにあるかもしれない。
人を育てる余裕があるという人や著名人が、オンラインサロンなどをやるのかもしれない。
人を育てるのは本当に簡単じゃない。根気もいるし、自分でやった方が早いことはとても多い。
直接育成に携わらなくても、やっている人と一緒に何かをやるでも良いと思う。
だけどもっと身近な面で「人を育てることで社会が評価する」という時代になれば良いな、とも思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?