祈川更明(いのりかわ さらめ)

穏やかに、健やかに暮らしたい。けれど、そうはいかない50代。介護、子どもの将来、じぶんのこと、心配は尽きない日々の中で、ちょっと救いになるような出来事について(ゆっくり)投稿していきます。ライター30年、現在、セカンドキャリアへ向けてバタバタと。

祈川更明(いのりかわ さらめ)

穏やかに、健やかに暮らしたい。けれど、そうはいかない50代。介護、子どもの将来、じぶんのこと、心配は尽きない日々の中で、ちょっと救いになるような出来事について(ゆっくり)投稿していきます。ライター30年、現在、セカンドキャリアへ向けてバタバタと。

最近の記事

家族を見送りたいですか?それとも見送られたいですか?

「納棺師」の修行を始めて4ヵ月が経ちました。 もろもろの事情で毎日出勤しているわけではないため、現場数はゆっくりと積み上げていく感じ。年下の先輩方は、さぞかし歯痒いことでしょう~。 故人さんの数だけ、生きざま、死にざまがあり、折に触れ自分と重ね合わせて考える機会も多い(個人差があります)のがこの仕事。 先日の納棺は、亡くなった当日もパートで働いていたという、70代後半のおばあちゃんでした。元気に働いて、お酒が大好き、小さなひ孫さんと遊ぶのも楽しみにされている日常。それが病気

    • 人の数だけ旅立ちの場面がある・・・二つの棺が並んだ葬儀

      「納棺師」を目指して就業中です(なぜ?は、以前のnoteをご参照ください)。 頭で覚えるよりも体で覚えることが多いこの仕事。故人さんの移動などで、腰がだいぶやられてきました。しかし、右も左も分からず、年下の先輩方からのダメ出しに挫けそうになった日々を乗り越え、動けるようになってきたことで「続けよう!」と前向きです。 そんな修行の現場は、あちらこちらの葬儀場(たまに自宅も)。 納棺時に立ち合われる家族、立ち合われない家族、いろいろな場合がありますが、まずは喪主さんにご挨拶・・

      • 故人さんを送るご家族にうるうる・・・50代の納棺修行

        セカンドキャリアへ向けての「納棺師」修行、まだ続いています。 前回も書きましたが、父の葬儀で納棺の仕事に感動して・・・というのが動機です。 しかし、(当然のことながら)お客さんの立場で眺めているのと、スタッフとして立ち回るのでは大違い。修行の身(実習中)は、機材を運ぶ、手順を覚える、細かいことはまた後で、の日々です。悪戦苦闘中の2ヵ月目。   場数の少ない修行中の身だけに、もらい泣きしてしまうこともしばしば。 いろいろな故人さん、故人さんを囲むご家族がいらっしゃいます。 ただ

        • セカンドキャリアへ向けて、選択は正しかったのか!?と自問する日々です

          以前、「やりたいこと探し」で迷子になっていると書きました。   仕事も30年続けてきたなら、それ相応に人脈も実績も積み上がって、この先もまわりの変化(なにせ仕事を始めたのはFAXすらあるか無いかの時代)に付いて行きながら、こなしていく・・・というのが理想でしょうが、現状は恥ずかしながら積み上がっていません。   横に広げたものが年々縮まってきて、周囲の顔ぶれも変わり、「?」となる依頼や修正にも「承知しました」。何やってるんだろう、と悔やむのもそのときだけで。これはダメだわ、と

          なんだかんだで2023も半分終わりますが、かろうじて新年の抱負は実行中

          早いもので2023年も半分が終わろうとしています。 年始のご挨拶で「今年は続けられる自分が抱負」と書きました。あれもしたい、これもしたいと(懲りずに)新年の抱負をぶち上げる私ですが、50年も生きていれば、なかなか続かない、実現が難しい、というのもうすうす分かってのこと(自分自身に問題あり、です)。   それならと、始めたのが「玄関の拭き掃除」でした。 占いやら風水やらの情報がたくさん流れていた中で見つけた、ゲッターズ飯田さんの「金持ちになりたいなら毎日玄関の拭き掃除を」という

          なんだかんだで2023も半分終わりますが、かろうじて新年の抱負は実行中

          探しものは見つけにくいものでした・・・50代のやりたいこと

          このところ、何をやっていてもしっくりこない。 しっくり・・・というか、「ここじゃない」「これじゃない」感じばかりがぐるぐる。 50を過ぎて、これからは「やりたいことをやる」との思いを常に持っていますが、その「やりたいこと」がなかなか見つかりません。学生時代にやりたかったけれど、あきらめたことや憧れだけで終わっていたものを・・・なんて、本(最近たくさん出てますね)で読みましたが、残念ながら思い当たらず。   先日、専門学校の仕事に行ったときのこと。年に数回だけ講師をしています

          探しものは見つけにくいものでした・・・50代のやりたいこと

          先週、認知症の父を送りました

          妻も娘もすべて忘れてしまった父と、脳梗塞で倒れて頭がはっきりしているからこそ辛い義母。どっちが幸せなんだろう、という話を書いた矢先に父が他界しました。母とともにガラス越しの面会をした2日後のことでした。   ガラス越しの面会場所まで連れてきてもらった父は、マスクを外して顔を見せても、身振り手振りでこちらに意識を向けさせようと頑張っても、目は合わないまま。しきりに(見えない)針に糸を通して運針をしています(パントマイム?)。一瞬でも戻ってくるのを期待していた母はがっかり。  

          先週、認知症の父を送りました

          すべて忘れるのがいいか、辛くても覚えている方がいいか、父と義母を見ていて思うこと

          父は認知症です。ここでも何回か触れていますが、現在、認知症を専門とする病院へ入院中。 思い返せば、昨年の春分の日は、高山市の古い町並みを一緒に観光していました。昼食に入ったお蕎麦屋さんでつゆを一気飲みして、「ちょ、ちょ、ちょっと~」。これはもう母との二人暮らしも時間の問題だな、と思っていた3ヵ月後に骨折、入院、転院、もう一つ転院。   で、現在に至るわけですが、入院してからの認知症の進み具合は、かなりのスピードです。リハビリを兼ねての転院時には、まだ私を娘だと分かるときもあ

          すべて忘れるのがいいか、辛くても覚えている方がいいか、父と義母を見ていて思うこと

          楽しいと思ったら終了・・・別れの春がやってきました

          二十四節気の啓蟄に入り(今年は3/6~20)ようやく春らしくなってきました。 虫たちの冬ごもりも終わりですが、こちらも安穏とした日々は終わりそうです。   縁あってたまに書店スタッフとなっていますが、その書店が今月、ついに閉店となります(前回のnoteで少し書きました)。コロナ禍でも休むことなく営業し続けたものの、やはり3年間の売上げはふるわず、といったところです。ただ、気になる本を見つけたら、すぐにポチッとできる昨今、コロナばかりの影響だとは思えませんが・・・。   働いて

          楽しいと思ったら終了・・・別れの春がやってきました

          「おねえさん」と呼びかける接客が嫌いでしたが・・・

          たまに本屋の店員やってます。 いろんなお客さん(ご高齢の方々が多め)が来店されて、ちょいちょい話をして。良いことばかりではありませんが、楽しい時間です。が、その本屋も来月閉店。コロナには勝てませんでした。ありふれた私の日常が変わっていきます。 そんな本屋に、先日、小さいお子さま連れのお母さんが来店されました。絵本を持ってウロウロしている子どもに「ほら、おねえさんに渡して」と。 そのときレジにいたのは、私と私より5歳年上のパートさん。二人で「おねえさん」に反応して、「いやいや

          「おねえさん」と呼びかける接客が嫌いでしたが・・・

          終活にはまだ早いけれど、過去写真を捨てています

          今年に入ってから、アルバムを捨てています。 私が主役(?)の時代のものです。結婚したら主役が二人になり、子どもが生まれたら子どもが主役のアルバムになっているので、そこには手をつけず。 私の場合、小学校高学年(くらい)以降の分は、大人になってから自分で整理し直していて(暇か!?)、「◯年◯月 ◯◯にて」という日付も場所もきっちり書き込んでいました。 結婚前までの期間、昔ながらのバリバリッと透明のフィルム剥がすタイプの重い(デカい)アルバムに6冊。スマホで簡単に撮影できる時代

          終活にはまだ早いけれど、過去写真を捨てています

          今年は「続けられる自分」が抱負です(遅すぎる新年のご挨拶)

          新年あけましておめでとうございます。 ・・・って、12月17日に年末のご挨拶をしてから、ほぼ1ヵ月ぶりの更新で、遅すぎる新年のご挨拶。今年も感じることを気ままに書きながら、ゆるりとやっていこうと思います。 さて、新しい年の初めは毎度こりもせず、あれもしたい、これもしたいと抱負たっぷりのスタートを切る方ですが、もう少し暖かくなったら始めよう! 暑さが和らいだら機会だ! なんて、ずるずると年末。そしてまた新年の抱負、というルーティンで長年生きています。 いい加減、何か一つくら

          今年は「続けられる自分」が抱負です(遅すぎる新年のご挨拶)

          吉日に神様系を買って暮れじたく(年末のご挨拶にかえて)

          前回、うちと実家と夫の実家の大掃除をせねば(「捨てられない80代VSモノを減らしたい50代」をご参照ください)と、退路を断つように(サボらないように)書きましたが、予定どおり週末はバタバタ。50代のカラダには、かなりきつい追い込みでした。   きれいになった(自己評価です)ところで、今週は「神様系」の買い出しを。 ずいぶん前からわが家のカレンダーには、「お札・しめ縄」と書き込んであります。というのも、よくある年末ぎりぎりになる前の日柄のいい日を選びつつ、一家のあるじの運気のい

          吉日に神様系を買って暮れじたく(年末のご挨拶にかえて)

          捨てられない80代VSモノを減らしたい50代

          暮れも近くなって、大掃除をしようかと。 毎年、年末ぎりぎりまで持ち越して、「ま、いいか」という箇所がいくつか出てくるのが恒例です。しかし、今年はわが家だけちょちょっとすればいい、というわけではなく・・・。   父が6月から入院=母が一人暮らし。義母が9月から入院=義父が一人暮らし。放っておけない日々です。   それにしても80を超える親たちの、モノが多いこと、多いこと。 使う気もないのに何本も置いてあるゼリーのプラスチックスプーンとか、いつから冷蔵庫にある?と聞きたくなるパ

          捨てられない80代VSモノを減らしたい50代

          つくづく美容室を探すのって難しいな、と思う

          今年は美容室ジプシーでした。 実家が床屋さんなので、髪のカットは父か母にしてもらっていました。 中学の頃は校則でマッシュルームカットにオンザまゆ毛。高校になって憧れの「段カット」が許され、まわりに聖子ちゃんカットがあふれてくると、俄然、美容室へ行きたくなったものです。しかし、よそでカットをしたいという願望があってもどこか後ろめたく、美容室代だってもらえないので、初美容室は高校卒業以降だったと思います(田舎&昭和の話ですので)。 人より遅い美容室デビューだからか、私はどうに

          つくづく美容室を探すのって難しいな、と思う

          必要とされる、まだまだやれる、それっていつまで?

          現役って、いつまででしょうね? そういえば、ここ10年くらい会っていなかったな、という人から連絡があり(何かの勧誘か!?と思わずにはいられない)、第一声が「まだ現役?」でした。 お互いフリーランスで、かつてはちょくちょく仕事を頼んだり、頼まれたりする関係だったものの、いつの間にやらご無沙汰で。「細々とですがやってますよ」と答えたら、「良かった。頼みたいことがあるんだけど・・・」。   そいえば、20代、30代、40代の前半くらいまでに仕事で関わった女性たちは、まだ現役なのだ

          必要とされる、まだまだやれる、それっていつまで?