#01 noteの理由
皆さまこんにちは。さらいです。
前回自己紹介をさせていただきましたが、
今回はなぜ1年間ほったらかしていたnoteを書く気になったのか、
これを通して私が何をしたいのかを書きたいと思います。
前回書いた
「日々のお仕事や読書などを通して感じたことなどを記録がてら書きたい」
はやりたいことですが、その目的を端的に言ってしまうと、
「これを読んでくださっているあなたに、
私がどハマりしている浅草に来て、同じくハマってほしい」
というたいへん自分勝手なものです。
私は長年の持病の片頭痛の原因の一つにもなっているくらい、人や音が多い場所が苦手です。
その点だけで考えれば、年間3000万人と言われる日本有数の参拝者数を誇る浅草寺を中心に、
平日休日問わず国籍豊かな観光の方々で賑わう浅草の地は、
どう見ても私がフィットできなそうな街でした(ご近所さんたち、失礼でごめんなさい!)。
それでも私が浅草にどハマりし、ひとにおすすめしたい理由は、
街も人もこれまで出会ったことの無い素敵さを持っていたからです。
安直ですが、日常生活圏を離れて行うことと定義される観光(*)、
そして街ナカホテルであるOMOにとってこれほど大事なことはありません。
街を歩けば「信仰と芸能の街」の歴史を体現するご近所さんに溢れ、
滅多に聞かなくなった「義理」「人情」「粋」という言葉が目の前に現象や人として存在する。
そんな伝統を大切にしつつも新しいものも否定せず、
訪日客の増加にも巧みに順応し、若年層の取り込みにも余念が無い。
あまりに多くの顔を持つ浅草の街について学んでいくうちに、
自分の苦手はどこへやら、気づくと私は開業準備で毎日街を駆け巡り、地元の方々のもとを訪れ、
2か月でまあまあ新しく履きやすいnikeのスニーカーを1足履き潰し、
常に何か面白いものが無いかを探すようになっていました。
そんな浅草に、私は今たくさんお越しになっている海外の方だけでなく、
まさに今このnoteを読んでくださっているような、
日本の方にもっとたくさん来ていただきたいと思っています。
特に日本人は1回来たらなんとなくわかった気になってしまう浅草ですが、
雷門から本堂を一往復しただけではなかなか受信しきれない、
1400年の長きにわたって育まれた、
日本人の琴線に触れる深く豊かな佳さを感じてほしいと思っています。
このnoteでは、私がその浅草の佳さをなんとか理解しようと試み、
どうすればOMO3浅草にお越しになる皆さまに伝えられるかと四苦八苦し、
街歩きや人々とのふれあい、様々な調べもので感じたこと、
読んだ本とリンクした部分なども書いていきたいと思います。
随分長々と書いてしまいましたが、突き詰めて言えば
浅草に来てください。
これだけです。
あ、もちろん、
OMO3浅草にお越しの際は、ぜひアクティビティにご参加くださいませ。
次回も気が向いた時に、お付き合いください。