誰かを嫌うのは、私のため?
「嫌いな人」はいますか?
子供の頃から、私には嫌いな人がそれはそれはたくさんいました。
それは「苦手なタイプ」だったかもしれないし「許せない人」だったかもしれないし「なんか無理な人」だったかもしれません。
大人になった今も、聞かれたらぱっと片手分くらいは顔が思い浮かぶ程度に、嫌いな人はいるものです。
今、季節的に気分が安定しなくて、イラつきやそこから派生する不安にどう向き合おうか、しばらく考えていました。
一番楽なのは、イラっとしないことなんだよなぁと。
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イラつきとその先にある怒りみたいな感情は、他人がいるから発生するものです。
世界に自分ひとりだったら、不安も怒りも(多分喜びも幸せも)存在しないでしょう。
何でイラつくかというと、他人が自分じゃないからで(当たり前か!)私の思い通りに動いてくれないから。
私の思いを分かってほしいのに、分かってくれないから。
で、「嫌い」っていうのはもう1歩先にあって、思い通りではない相手の中から特定の要素を抜き取って、積極的に嫌いでいようとしてるんだと思うんです。
好きな人も嫌いな人も、「私の思い通りにならない度」は全世界等しくイコールなんだけど、好きな人はたまたま思い通り感が持てる程度に似ていたり、全然似てなくてもそれを超える要素を持ってたりするから、好きなんです。
波長が合うと言われるようなこととか、自分を変えなくてもいい相手とか、憧れる要素を持ってるとかかもしれません。
考えてみてほしいのですが、嫌いな人に本当にいい要素は何もないでしょうか?
もしくは、あなたの好きな人は嫌いな人と同じ要素をこれっぽっちも持っていないでしょうか?
多分、ひとつくらい何か共通点が見つかると思います。冷静に考えてみたら。
ということは、好きな人は好きになろうって決めて好きな要素を積極的に探してるし、嫌いな人は嫌いでいようと決めて嫌いになれるポイントを探しているとも言えそうです。
ちょっと強引に聞こえますか?
価値観が違うとか感性が合わないとか好みが違うとか見た目がどうのとか、色んな理由はあれど、それは「嫌い」である根本的な理由じゃないと思うんです。
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嫌いでいたい背景には「私」がいる
ある時そう気付きました。
嫌いな人の話は、結局は自分の話じゃないのかしら。
相手を嫌っていないと、自分の心身の安全が脅かされるから、嫌いでいたいんじゃないのかしら。
例えば、嫌いな上司が何人かいるんですが(笑)、論理が不明なポイントで論点を提示せず怒鳴る人、気分で発言のムラが目立つ人、理解できないことを理解したふりをする人など、嫌いな理由を考えると、全部私が危険だと感じるポイントをついているんです。
最初の例の上司だと、どこで怒鳴るか分からない相手を目の前にするのは上司部下という立場も含めかなり危険ですし、そもそも怒鳴るという行動の必要性が私には不明です。
だから、色んな悪いポイントを探して「嫌い」でいることで、自分の中の相手の価値を落として、心身ともに距離を置き、できるだけ安全でいたいんです。
これが例えば、劣等感に基づいて誰かを嫌いなのだとしても、同じことです。
誰かと比べてコンプレックスを持ったままの自分でいることって、生きる上でストレスフルですから、刺激してくる誰かを悪者にすることで自分を安全圏に置きたい気持ちが働いているはずです。
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安全でいること、それ自体は悪いことじゃありません。
積極的に危険にさらされる必要なんて、ご先祖のみなさんがジャングルで生活してた頃からひとつもなかったんですから。
だから少しでも安全な環境を求めて、知恵を絞ってきたのが人間だと思います。
ただ、嫌いになる必要も、なかったんです。
私の思う通りになってくれないから、私の居心地の良さが実現されないから、私が危険な状態になるから、誰かを嫌いでいようとする。
だけど、嫌いであろうがなかろうが、世界中の自分意外の全員は思い通りになりませんし、誰かを悪者にしても自分の世界の中での居心地の悪さは変わらないですし、危険人物を嫌っていても本質的に危険からは離れられません。
嫌い!
と感じた時、そこには危険に対してSOSを出している私がいます。
SOSに対応するために必要なのは、相手が自分とは別の人間だと知ることかもしれないし、自分のコンプレックスに向き合うことかもしれないし、物理的で現実的な行動かもしれません。
とにかく、嫌うことでは根本的なSOSは解決されないはずです。
あと最近、ただただニュートラルに「あぁーかわいそうな人だな」と思えることも増えました。
上から目線とかではなく、私の軸で、かわいそう・残念だなと冷静に受け止められると、好きでも嫌いでもなく、心の安全は割と守られたままで相手を見つめることができます。
そうすると、この先相手との関係をどうすると良いのか、建設的に考えやすいんです。
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学生時代、同級生に
「嫌いな人はいない。好きか、どうでもいいかだけ」
という子がいました。
当時、意味わかんないし詭弁か思い込みなんじゃないかなと思っていたんですが、もし彼女が本気でそう言っていたのだとしたら、今の私はやっと当時の彼女に(論理だけは)追いついたかなと思います。
どうでもいい、というのはあまりいい意味で使われないワードですが、「嫌い」を自分を守るために心の中だけでしている積極的な攻撃、みたいに考えると、「好き」ではない、だけどわざわざ攻撃するほどのことでもない、という状態はすごくコスパがいいなと。
攻撃は最大の防御、なんて言いますが、自分の心の中だけでやっていても本当には防御できない上に永久にカロリーを使ってしんどいですから。
あと、誰かの悪口を誰かと一緒に言い合うのも同じです。
カロリーを使うために誰かを嫌いでいなくてもいいかなーと、思っています。
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読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!