自己肯定感は「感」が目的じゃないから、私はここにヒントを書き続けたい
私が「自己肯定感」は自分で作れる(むしろ誰かに与えられるものじゃない)をテーマにして #note を書くのはなぜか
という話を今日は書きたいと思います。
そしてそれは、そもそも「自己肯定感」ってどういうものだっけ?と
もう一度立ち止まって、見つめ直すことでもあると思うんです。
そもそも自己肯定感って、結果的に生まれてくるもので、目的ではないですよね。
どういう経緯で「感」という字を当てたかは分からないのですが
英語で「self-esteem」(自尊心)であった言葉を「自己肯定感」とした経緯があるのだとしても
「感」、つまり「感覚」「感じ」は何かやったこと・起きたことなどの結果であって目的ではないはずです。
もし語感だけの「自己肯定感」を追い求めると、
できないことを無理やり「できる!」と思いこもうとしたり、好きになれない自分にポジティブな暗示をかけようとしたり、
すると思うんです。
(それって、自分に攻撃を仕掛けてくる自分を甘やかしまくろうとしているような、ある意味での地獄だと思う)
本当の意味での自己肯定感は、自分の全ての側面を「そうなんだなー」と受け止めた先で
自分との良好なお付き合いを始めることであり、その関係が作られていく中で気付くものだから。
なので、自己肯定感は「結果的に」生まれるものであって、
そこに至る道は、人の数だけ違う道筋があって、その道筋の中にも実は無数の選択肢があって、
だから一本道ではなく、寄り道したり曲がり道があったり、山も谷もあるものなんですね。
例えば「ポジティブになれば自己肯定感が手に入る!」みたいなお手軽クッキング的うたい文句があったら
それはお商売のためのまやかしだと思います。
全世界の全員の「人生」が異なる以上、「旅の行程」も異なっているはずだもの。
じゃあなぜ私はその自己肯定感について書こうとするのか。
全員に共通する簡単で分かり易い方法は、ない。これは間違いありません。
ただもし、選択肢のヒントがあれば、それは
気になったもの、その時の気持ちに沿うものから少しずつ、
自分で選んで試して横道にそれたりしつつ、
自分の旅の行程を進んでいくサポートにはなるんじゃない?と思ったんです。
私のことを私が認めていく過程は、最初の頃ほど五里霧中で暗中模索だったと私自身が感じているから。
その中でいくつか、蛍のように小さな光があったから、その中から選んで試すことができたから。
ヒントを使って考えて試して気付いて認めることを重ねて、
結果的にその先の道を、自分で作ることができるようになったんだなーと思っているから。
長い旅路で私があちこち寄り道しながら通った道には、
自分の多様な面・要素を受け止めまくった自分、という「実績」が残っています。
結果的にそれが、私から私へのプレゼントになっていたと後から気付くので、
だからこそ、自己肯定感は「感」作りではないんですね。
私がここに「自己肯定感」について書く時、
それは「自分が変化することの喜び」と「未来を選ぶ人へのエンカレッジメント(勇気づけ)」がベースになっています。
自分の未来を作っていこう!私にはそれができる!という確かな実感が今はあるから。
そしてその実感は、気付かないほどの小さな変化から作られていくことを知っているから。
小さな変化のきっかけが、私の知らない誰かのために、この場にもあったらいいなと思って
書き続けています。
それは、私の経験や考えに基づくものだから、私のものでしかないかもしれないけれど、
過去の苦しかった私が、当時誰かに本当に教えて欲しかったものでもあったから。
一番つらくて苦しくて生きづらかった時、私には教えてくれる人がいなかったから。
ヒントでしかないとしても、世界のどこかに「存在」していることが大切だよね、という思いで
ここに目印を立てていこうとしています。
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!