嘘と、嘘に気付いていたから見つけた本当
「なんか私、これの先生になりたいかも」
アレクサンダー・テクニークの個人レッスンを初めて受けた帰り、唐突にそう思った。
教師との距離感や関係性が、かつて経験したことのない不思議ないい塩梅で
「これを学ぶと私の何かが変わる」と感じた、それは全然、嘘じゃない。
でも本当は、ずっと気付いていて誰にも言えなかったけど、
私には別の「願い」があった。
「音楽と繋がっていたい」
音楽から離れないためにアレクサンダー・テクニークを学ぼうとしていたし、これを学べば音楽の近くにいられると、関わってもいい理由ができると、どこかで思い、願っていた。
当時、通っていたアカペラのワークショップでいわれのないいじめにあい、鬱の真っ只中だった。
夜は眠れず、体重は10kg近く痩せ、仕事中も通勤中も関係なく唐突に涙が出て、この世界から消えてしまいたかった。
私にとって、ワークショップから離れるのはおそろしいことだった。
「ここにいないと学べない」「ここにいないと仲間がいない」ひいては、「もう音楽ができなくなる」と、どこかで思っていた。
そんなこと、全然ないのにね。
ただただ環境や仲間やアカペラに、依存していたんだと思う。
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いじめと鬱にほとほと疲れ果てて
これは自分が変わるしかない!日々を変えるしかない!と決意して
ワークショップとそれにまつわる人間関係のほとんどと、きっぱり縁を切った。
そして私は、半分だけ、縁を切るための言い訳に「アレクサンダー・テクニークを学ぶから」を使った。
学びたかったことは本当。
でもそれを言い訳にすれば、後ろ指をさされずあそこを去れると思っても、いた。
ずっと恥ずかしくて誰にも言えずに、だけど心の中では気付いていたこと。
私は音楽に、アカペラにしがみついていたかった。
アレクサンダー・テクニークで自分が変われる予感はあったけど、
もう1つの真実として、
「音楽とつながっていたい」という気持ちがあったことを、今日初めて人前にさらすことにする。
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アカペラが大好きだし歌がすきだし、だけどいじめにあって、出禁にされかけて、
音楽をすること自体が許されていないんだと思った。
思い返せば学生時代、合唱をしてた頃もいじめにあった。
そうか。私が音楽をしていたらいけないんだ。と思った。(なんて雑な言い訳!苦笑)
だけど音楽がしたかったし、悔しかったし、音楽に関われる形で「何か」を成し遂げないと「復讐」できないと思った。
アレクサンダー・テクニークの教師養成コースに入学してからも
アカペラやポップスを私の専門だと宣言して学ばないと、「勝負」したらいけないと思ってた。
(今思えば、「勝負」ってナニ?みたいな感じだけど)
そう宣言しようとすることで、音楽をしてもいいと自分に許可したかった。
(許可なんてしなくても、音楽はいつだってできるのに)
だけど、音楽の専門教育も受けていなければ、うたで何の実績もない自分が
たとえアレクサンダー・テクニークというちょっとした特殊項目があったとしても
音楽に関わる中で「勝負」できるわけがない。
ほかならぬ私が、私の音楽を「技能」としても「モチベーション」としても一番否定していたから。
否定しながら否定で「勝負」しようともがくのは、めちゃくちゃ苦しい。
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繰り返しになるけど、
今になってわかるのは、ただ音楽にしがみつきたかっただけだということ。
でも「何とかして何かの形で音楽にしがみつきたい」は
私のやりたいことでもやれることでも、得意なことでもなかった。
だから苦しかった。当たり前だよね。
本当にやりたいことは、気の置けない仲間とハモることだし、うたうことだし
アレクサンダー・テクニークを使って私が変化し続けること。
それらは組み合わせることができるから、
うた×アレクサンダー・テクニークで誰かに教えてお役に立てることは、ある。
そして以前の私が気付いていなかったのは、
組合せはマストではなく、両方別々だって、片方だって、OKだってこと。
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音楽と私は、しがみつかなくてもいつだってつながっているし、ずっとうたいつづけると思う。
そして音楽の周辺でアレクサンダー・テクニークを使って教えることもできると思う。
ただひょっとして
より得意なのは、自分に向き合うことや深堀っていくこと、その過程で自分にも他人にも優しくいることなのかも。
自分との付き合い方や生きづらさを変えることを教えられる人は、うたを教えられる人よりきっと少なくて、
私にとってのブルーオーシャンになるのかも。
そういう風に考えるようになった。
アレクサンダー・テクニークは組合せで本領を発揮するワークだから、なんでも教えられる。
何でも教えられるけど、私の「やりたいこと・得意なことはこれですよ!」の旗はいつも掲げておきたい。
人との関係の中で、コミュニティの中で、頑張らなくても気持ちよくいられる。自分を大切にできる。
そのことを共有していきたい。
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この旗をいま一度、きちんと掲げようと思えたのは、
「目的の目的」があったことを外の世界にさらす心の準備が整ったからだし、
つまりはそれで非難されてもバカにされても掲げるべき旗を見つけているからだし、
「目的の目的」が目的じゃなくなったことに「ばんざーい!」て思えてるからだし、
目的の二重構造に振り回されて自分の心ががどこかに行ってしまった誰かにシェアできたらいいと思うから。
もう少しで、私の資格状況は、アレクサンダー・テクニーク教師の仮免許から本免許になる。
その前に、私の嘘と、嘘が苦しかったから出合えた本当を、外の世界に出すことで
エゴや自己満足かもしれないけど、教師として腹をくくるための1つの形にしたいと、思った。
(やっぱり自己満足か)
それでもいいや。
やっぱり嘘は、ちゃんと嘘でしたって私が私にごめんねしてあげることが大切だと思う。
そして同時に、本当も見つけられて良かったね、頑張ったね、って言ってあげようと思う。
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!