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【執筆修行中】体言止め連発で、どこまで小説は整うのか?

パリ・オリンピックが終了しました♪

オリンピックを見ていると「小さい頃からこれ」と決めてスポーツに専念してきた方の努力の結晶というのが、垣間見えてすごいと思いました✨

かたや自分はずっとサラリーマン生活をしていて、趣味といえば旅行と読書。みずから「創作する」ことをスタートしたのはここ数年のこと。

自己流でああだ、こうだ悩みながら書いたり描いたりしていて。まだスタートラインにさえついたかどうか、という感じです。

不思議なのは、絵を描いているときは文章は閃かず。ある程度絵を描き終わると文章が気になってくる、そんなサークルです。

趣味でいえば「釣りに飽きたからサイクリング」みたいな感じなんでしょうか💦 知らんけど。

ところで、最近は文章モードに入っており、なんとなく自分が書いたものを
見直したり、師匠(スティーブン・キング)のいうところをチャンと考えて書いてみようかなと執筆してみました。

気をつけようと思ったのはこの3点です。

・副詞は極力、つかわないこと。
・体言止めで書くこと。
・自分のアイデンティティのある場所を題材にすること

体言止めは気にするようになりました。すると、以前より流れのある文章になった気がします。

問題は「アイデンティティ」。日本文学より西洋文学を気に入って読んでいたせいか? どうも描写に日本がでてきません💦

うーん、どうしよう。頭が勝手に海外にいったり、妖精にあったりしてします。まあいつものことなんですけれど💦

結論。

「まあいいや、ファンタジーだし」ってことで執筆を進めてます。

たしかカレン・ラッセルだったかと思いますが、日本人が主人公の短編を書いていたような気がします。


ぜんぜん違和感がなかったし、いまの時代はSNSでつながりっぱなしなので
私が小説を書く際には、どの国においても「ある程度」の世界観がつながっている印象が、心の片隅にあるせいなのかもしれません。

ところで、体言止めの巨匠といえばディックフランシスの作品があります。
有名な競馬シリーズの作者ですね。

素人だと、ああだこうだ説明をつらつらと書きたくなるところも

プロになると、一行であっという間に
場所と状況を変えることができるんだな、と感じました。

例えば「骨折」の冒頭

~二人とも、薄いゴムのマスクをつけていた。瓜二つであった。
私は信じられない思いでかすかな不安を感じながら、顔のない顔を見ていた。
私は、夜中の十二時に十分前に、マスクをつけた悪者の訪問を受けるような人間ではない。~

ディックフランシス「骨折」より

冒頭の数行で想定外の誘拐がおこることがわかりますし、主人公が混乱している様子もすぐに理解できます。

このように最近はどうしても「読書する」というより「教科書」として読んでしまう傾向があるのですが、よい小説は読んでいて気づきが多いです。

とくにミステリーなどの場合は、いかに読者を引きこむかよく考えて創られていますし、シリーズの1冊ごとで、どのように変化をつけて面白くしているのかが垣間見えます。

商業的な小説を目指している方や、価値がどこにあるか知りたい方は、こういった長編シリーズを読んでみる事をおすすめしたいです。

個人的には。せっせと読みやすい体言止めをどう使っていくかを気にしながら創作を続けてまいります。

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