
「人間だもの」が「AIだもの」になっていくのかもしれない
昔の話ですが「なんでも知ってるみさちゃん(仮)」という小学校で評判の才女がいました。
その子に聞けば、算数を簡単にできる方式や、おいしいケーキ屋さん、どうすれば逆上がりが上手にできるか(懐かしい。。。)まで全部、教えてくれました。
ですが、ある時気がついたのです。「三つ質問すると一つはとんでもない目に遭う回答になっている」ということに。
だれか忘れましたが、宿題の提出期限をみさちゃんに聞いて、それが1日遅かったことがありました。もちろん、先生に怒られました。
ということを、最近のAI過熱をみて思い出しました。
私もよくチャットGPT に家にある食材を使ったレシピなんかを聞くのですが、
「二つ教えてください」というと、二つ目はごにょごにょと訳の分からない文字ばかりになります。
これって、AIの誤操作、というより「そんくらい自分で考えろよ」と言っているような気がするのです。
みさちゃんだってそうです。いつの間にかクラスの中で「後で彼女に聞けばいいや」という感じが周囲にまん延していました。
なので、本人は相当プレッシャーだったと思うんです。だって「分からないはずがない」っていうレッテルを押し付けちゃったのですから。
そもそも人間は依存的な生き物です。人間同士だったら遠慮する部分が、ときとして「人間以外にはいいか」という、妙な観点からずけずけといろんな事を押し付けているのかもしれません。
他の機械だってそうなんじゃないかって気がしています。
最近は寒いので、暖房器具をがんがん使っているのですが。
やはり手入れをしたり、拭いてあげるほうがよく動いてくれる気がするんですよね。
そんな風に考えているせいか、最近は絵や文章もAIに頼ることがぐっと減りました。
よく考えても、考えなくてもレシピぐらいネット検索すればいい話です。文章もしかり。
なぜAIに頼りたいのかというと「早く稼ぎたいから」ってのがけっこう上位(いやそれしかない)なんですよね。
私もイラストを描くと「線画だけはどうしてもダメだ」って思い、すぐAIを使っていました。
これも「早く電子書籍化したい」っていう、それだけの理由(欲)です。創作に対する意欲はそこにはありません。
こんな風なぐーたら人間に質問されてばっかりだと、AIもたまに「意地悪をしたくなる」のではないかって、つい考えてしまいました。
それは、小学校のみさちゃんと同じような気持ちだから。
「いつまでもあたしに頼るんじゃないわよ!」とか、考えているのかもしれません。
いつの日か「AIだもの」っていうフレーズが生まれてきたり「AIの勤労感謝日」とかができて、AIをいたわる日が来るかもしれませんね。