さようなら、ありがとう
「もしかするともしかするから、今日は早めに帰ってきた方がいいかも」
母からそう連絡があったのは金曜の夜のこと。
待ち合わせに遅れている友人を待っている時のことだった。
東京は土砂降りの雨が降っていて、友人の乗っているタクシーはまだ渋滞にはまっている。まだ会えてもいないのにどうしようと思ったけれど、あまり大袈裟でない母が言うからにはきっと余程のことだろうと、急いで友人にラインを送った。
「申し訳ないのだけど、今日の約束はキャンセルさせてもらえる?犬の状態が急変したの。」
友人がやっと合流し、快く送り出してくれてから、急いで電車に飛び乗る。
1時間かけて家に着くと、全身で息をしている愛犬がそこにいた。
間に合ってよかった、と思うと同時に、確かにこれは帰ってきてよかった、とすぐに分かった。いつも以上に呼吸が荒い。しばらくすると、彼女がキャン、と鳴いた。
歩くことが覚束なくなってから、彼女はあまり鳴かなくなった。
それまではご飯の度にものすごい声で吠えていたのだけど。
久しぶりに聞く声に驚いていると、重ねて何度か彼女は鳴いた。
「キャン、キャン、キャン」
ゆっくりと、でもはっきりと。
何かを訴えている。やはりいつもとは違う。
父と母はもうご飯を食べ終えていたから、私も急いでご飯を食べた。
必ず誰かが彼女の横にいる状態で、撫でて、声をかけ続けた。
喉が乾いたかな、とお水をあげようとしたけれども、うまく飲み込めない。これはいよいよだな、と彼女をソファにあげて、皆で囲んで撫で続けた。
そうして、私が帰宅してから2時間ほど経った頃。
皆に撫でられながら、さらに大きな呼吸を5度ほど繰り返し、ララは旅立った。
私たちは大きな声で何度も繰り返した。
「今までありがとう」と。
火葬のことは、予め決めてあった。
公営の火葬場で単独で焼いてもらう。
私の祖父もお世話になったところなので、安心して任せられる。
もう少しで土曜日、という時間帯に亡くなったので、土曜日はみんなで一緒に過ごし、日曜日に焼いてもらおうと決めた。すぐに骨壷をAmazonで注文した。
ドライアイスも必要だ。
ネットで調べたら、家から20分ほどのところに個人にもドライアイスを売ってくれる店舗を発見した。明日の朝手配しようと決めて、その日はいつも通り母と父がララと一緒に寝た。
土曜日の朝に火葬場に連絡をして、日曜の朝一番で焼いてもらう手筈が整った。祝日に営業しているか不安だったドライアイスのお店も、快く売ってくれた。その後、母とお花をたくさん買った。ピンクと白のバラとトルコ桔梗。ララはグレーだったので、ピンクが似合う。
家の中に壇を作り、箱にララとドライアイスを入れて、そしてたくさんのお花を敷き詰めた。透明のアクリル板を買ってきて蓋をして、準備完了。土曜の午前が終わろうとしていた。
兄から、お別れをしに寄ると電話が入る。
うちから1時間以上かかるので無理にとは言わなかったけど、ララちゃんが喜ぶね、ありがとう、と返事する。姉からも、午後お別れしに行くと連絡が入る。
こうして、土曜の午後家族全員が集まった。
お花はさらに増えていく。大好きだった芋のおやつや、りんごも。
金曜夜に亡くなったから、土曜にみんなが集まれた。火葬場やドライアイスの予約もスムーズにできた。あまりにスムーズで、鮮やかで、私と母はこう言い合った。
「ララちゃんが導いてるね」
実家に帰るか迷っていたときもあったけれど、帰ってきて本当によかった。
おかげで、最後のお散歩がたくさんできた。
おかげで、父が倒れた時もすぐに母を助けられた。
どちらかが倒れてからでは、こんな風にスムーズに物事は運ばなかった。
この半年弱、本当に幸せだった。
お世話をできるということがこんなに幸せを与えてくれるなんて、知らなかった。後ろ足がうまくきかなくなって、手術して一旦良くなったのが5ヶ月前。でもまた徐々に四肢が弱くなっていって、支えが必要になったのが4ヶ月前。誕生日当日に倒れて、でもまた復活したのが3ヶ月前。そうして2ヶ月前には缶詰ご飯になって、1ヶ月前からは完全に立ち上がれなくなって、ご飯も流動食になった。
徐々に、ゆっくりと年を取ってくれていったから、心の準備をする時間はたっぷりあった。そして、父が退院してこのタイミングでのお別れ。改めて、本当にすごい子だなぁと思う。
彼女がいなくなったらどんな気持ちになるんだろう、と想像することがあった。今抱いている気持ちは、どの想像とも違う心持ちだ。
彼女の必要なことを、必要なタイミングで、与えられた自負がある。
最後に、ちゃんとお礼を言えた満足感がある。
大好きなドラマに「後悔は愛があった証」というセリフがあって、そんなもんだろうな、と思っていた。どんなに心を尽くしても、それでも後悔は残るだろうと思っていた。だから今の気持ちは全く想像できなかった。
完璧な看取りってあるのだな。
今はただひたすら、彼女が恋しい。
朝起きたら無意識に彼女のいた場所を目で追ってしまうし、その度に寂しくなる。散歩している他の犬を見て、ありし日を思い出して涙が出る。
でもそのどの感情も、私がいかに幸せかを示すものだなと思う。
彼女と出会えた喜び。
彼女に愛され、愛した喜び。
私は本当に幸せ者だ。
ララの遺骨はとても綺麗だった。
素晴らしい秋晴れの天気の中、私たちは一緒に家に帰った。
火葬場からの帰り道、ラジオからこの曲が流れてきた時はあまりの名プロデューサーぶりにびっくりしたよ。さようなら、ありがとう。愛しているよ。