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mugendou-jigoku
「無間地獄」を「無限地獄」だと勘違いしている人は結構多い。どちらも mugen-jigoku であるから致し方ない。皆が間違い続ければ200年後には「無限地獄」の方が一般化してることだってあり得る。言葉は流動的で、液体のようなものだ。
一方で、私が今陥っているのは mugendou-jigoku である。漢字で表記するならば、「むげん堂地獄」。正式名称は「元祖仲屋むげん堂地獄」であるが、一般的には省略して使われることが多い。どういうことか。高円寺や吉祥寺あたりにある「むげん堂」の服を一度着てしまうと、そのあまりのユルさと着心地のよさに魅了され、一般的な洋服が着れなくなってしまう。そういう地獄のことである。タイだかネパールだかから仕入れてきたであろうユルユルのズボンに慣れてしまえばもう終わり、スキニージーンズなど履けなくなってしまう。気づけば身につけるもののほとんどがむげん堂アイテムになっている。周りからヒッピーと言われているうちはまだマシで、いずれは仙人呼ばわりされる。仙人をさらに通り越して解脱すると、ついに透明人間になるとまで噂されている。高円寺には、そんな目に見えない釈迦が大量にいる。そのことに私たちは気づいていない。
リリーフランキーが何かの雑誌で言っていた。「高円寺や阿佐ヶ谷には、インドにかぶれすぎてもはやインド人になってしまっている人がいる。彼らは本物のインド人よりも美味しいカレーを作ることができるし、本物のインド人よりも貧乏である。」
何とも失礼な話だが、事実だろう。ミイラ取りがミイラになる。インドかぶれがインド人になる。
もしインド人が杉並区長になったら、東京の真ん中の一部だけがインドになる。飛び地というやつだ。中野区や武蔵野市あたりも追従してインドになるかもしれない。インドは核保有国であるから、周りの日本人たちは怯えるだろう。しかし、安心してほしい。飛び地のインド人は常に「Love & Peace」を唱えている平和主義者ばかりだ。他者に対していつも優しい。ただし働かない。
「高円寺駅北口ロータリーの噴水はガンジス川である」と言っていたのはパラマハンサ・ヨガナンダだったか、みうらじゅんだったか。酒に飲まれ過ぎたインド人はよく噴水で行水をし始める、それが由来らしい。もしかすると高円寺のガンジス川でも水葬が行われているかもしれない。でも透明人間だから私たちの目には見えない。
今度あの川に行ったら、死者たちに追悼の意を捧げようと思う。