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東京事変と私

9月5日に映画館で東京事変の配信ライブ、ニュースフラッシュを見てきました。たくさんの想いがこみ上げ、たくさん泣いてしまったのですが、この想いを記録しておきたかったので記事にすることにしました。

東京事変がいたころの2004年~2012年、私は大学1年生から社会人2年目までを過ごしました。大学に在籍した6年間は、軽音楽部に所属して東京事変の曲をコピーすることもありました。社会人になると、地方から神奈川に引っ越したこともあり、ライブにも足を運びやすくなって楽しんでいた真っ最中に解散が発表されました。

東京事変解散時、ファンクラブ林檎班でアンケートがありました。その中には「あなたにとって東京事変とは?」との問いがあり、私の答えは「青春」でした。そして「青春」という回答は、アンケートで1番多い答えだったのを覚えています。

実は、解散後、2,3年は東京事変の曲を聞いていたのですが、ある時から東京事変の曲を聴くことができなくなりました。自分の気持ちをスルーする癖のある私は、大人になって、好きな音楽の趣味が変わったのだろうと思い、東京事変のアルバムをそっと奥にしまいました。そして、今回のニュースフラッシュまで東京事変の昔の曲を聴くことができなかったのです。

今回、ニュースフラッシュを見て、私は東京事変の曲を聞けなかった理由がようやくわかりました。東京事変がいた8年間は、この年頃の誰もが経験するように、将来が不安で、とても辛く厳しく、それでも楽しもうと、もがきながら生きていました。この時期を一緒に乗り越えてくれたのは、東京事変の曲であり、その時の記憶が曲と共にすべて記録されてしまっていたのだと気が付きました。

大学生になって、親元を離れ寂しさを抱えながら生活が始まり、友人が就職を選択する中、院に残り、今思えばハラスメントを受け、泣きながら研究室へ通い、リーマンショックで苦戦しながら就職活動をし、会社という新しい組織に入って揉まれた日々。

辛かった記憶だけではなく、未熟すぎて恥ずべき過去となったものも、同時に詰まったものだったんだな、と今更ながら気が付いたのでした。

そして、ニュースフラッシュを見ているときには、当時の想いが客観的に映し出されて、ようやく私の中で昇華して行ってくれたように感じました。

過去の厳しい時期に区切りがつけられていることを、ようやく確認できたことにとても安堵しました。

そして、大人になって、辛さが減ったかと言ったら大人は大人で辛いことがたくさんあるのだけれど、昔に比べたら闘う武器や守る盾が増えたからレベルはアップしている(自分比)のかなということと、楽しめることの質が上がったのかなという気持ちでいます。

今まさに、辛く、厳しい現実に直面している女の子たちが少しでも楽しい未来を思いながら生きてくれるといいなぁという思いを抱えながら、また、東京事変の曲と人生を歩んでいけることを楽しみにしています。

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