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目にみえない富。

仕事が終わった。
今回は不測の事態で時間に追われ、慌ただしい1ヶ月でした。

最近は山へ行き・森に入り、落ち葉が視界を埋め尽くすほど
ブワァーーッと舞い散るのをひたすら眺めていたりです。
樹々はずうっと同じ場所にいますが、何想うのでしょうね。

私はフリーランスということもあり、少し変則的な働き方をしていて
1ヶ月働き・1ヶ月休む、その1ヶ月働いた報酬で2ヶ月間生活する、
そういう暮らし方をしています。

生活費を参加させねばならない立場なのですけど(笑)
何にもできない人間のうえにも技術職が長くなってくれ、
自分にとっては十分で、空いた時間忙しくした時もありましたが
予定を入れない1ヶ月を “できるだけ” 設け続けています。

なので2ヶ月に一度「仕事が終わった」という時期があり、それから4週間
社会から距離を置く「何者でもない」時間を過ごしています。

会社員時代、忙しすぎで段階的に心と身体が崩壊 ☂
それでも若さゆえ、カラフルな都会での生活は手放し難く
もはや青白い顔をした煩悩だけで彷徨うような私へ(笑)
「正気に戻りなさい!」と何者かが何度も頭をハタくかのように
重めの病が来訪、手痛いことが続きました。
これが運命というものか、現在の暮らし方へと、流れ流され辿り着いているというわけです。(現在は心身共に健康です)

でも不思議なもので1ヶ月十分に休むことで、
人間関係の小さな事はどうでもよくなり(逆に人に感謝が増す)
基本的に大好きな仕事を愉しみに迎える事ができ、雇用主やお客様に全力で精一杯お返ししようという清々しい気持ちになれるので
なぜだか訪れてくれたこのサイクルには感謝しかありません。

仕事先の上司からは「来月、面白い入札あるからやってみない?」
など有難い話を持ちかけられたりですが…

「いや、、したい事があるので…遠慮します… 」
上「 いつも言うけど、ソレって何なの?」
「天文とか…リベラルアーツ的な事を…学びたくて…」
上「それって今じゃなきゃダメなの??物価高も凄いんだし
  年収上げてく方が断然未来のためになると思うけど!?」

という感じで…毎回返事に困るのですが…社会通念上、
「働かない時間=大人には無きもの」なので理解されぬまま…

そう…私にとって今じゃなきゃダメ…
年収を増やせる現実的なオイシイ話に目が泳ぎつつも(笑)
得たいことが、強烈にある…

永らく1ヶ月の時間を設け続けている一番の本当の理由、それは
「社会の中で忙しくしていると・社会のおかしさに気づけなくなる」
そのことの脅威を、社会から脱落したきっかけから思いがけず感じてきたからであり、常識的な働き方で無くとも、人間に生まれ、なぜこうして生きているのかという不思議について、考え・学ぶ時間を少しでも若いうちに得ていかなければ、社会の虚構へ一緒に混ぜ込まれ、あっという間に人生の持ち時間はなくなるだろう、という差し迫った危機感を捉えた事に始まります。

思えば小さい頃から、言葉にならない社会への違和感はあり
学生時代も周りの趣向と合わない、
正しいとされる社会常識に対し考えをどうしても委ねることができない、
何だか変だと思う感覚をうやむやにできないため、集団ではどんどん浮いていく、そうして永らく自分は社会の劣等生なんだ・変なんだ、と
自己否定を強めながら思い込んできた歴史の住人でした。

消えることのなかった違和感の正体について、
この3年、或る1人の作家や、図書館で偶然手に取った本から
人生で初めて、その糸口へと辿り着く日が訪れてくれましたが
戦後の「3S政策」も原因の一つで、子供ながら人工的な施策への
「嫌な感じ」があったんだな、と今ではようやくわかりました。

男女平等・女性の社会進出を推進したウーマンリブも、
実際は、女性が家庭から離れ、働き手となる事で
税金を2倍徴収できる事が目的だったという話は、穿った見方でもなさそうで…必然、子供を早くから学校へ預ける事になる為・機械的な教育が可能。
メディアを遣い、見えざるスポンサーがそれを創出していたなんて…で
(70年代頃はまだ、母親が働いている家庭の方が少なかったです)

その一端を担う使命のあった団体を礎とする「学校」では
当然ですが3S政策なんて教えてはくれず…(笑)
大人になってからもこういった構造に気づいている人を
周りでは、ほとんど知りません。
若い頃から熱中した音楽やスポーツ、映画やテレビといったものへの視線が急に虚しく色褪せてしまった驚くべき事実でした。

なぜ一般大衆が気づかないような仕組みが存在し
それを以って世界を動かすのか、なんなんだこの社会って…
歴史の理解をもう一度改め、本当の背景を知っていく必要がある
未来を生きるため何よりも今、重要かもしれない…

手元にやってきてくれた本や、大切な報せの数々が
コロナ禍の始まる前の秋、
無用の用を彷徨う(笑)私めがけてピタリと差しこまれ
課題を持つ事になりました。
『必要なものは 必要な時 必要な人へ』
ずうっと待っていた気がする、他の何ものでも決して埋まらなかったこと。

⚓︎

私は山奥に住みながらも、なぜだか「港湾」に関する仕事を永らくしているのですが、先日、商船学校の実習船内に、昭和時代の教官が筆で記した古い訓示が、今なお掲示されているのを目にする機会がありました。
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● 当直は五感を働かせよう。
視る/聴く/触れる/嗅ぐ/舐める
そして第六感・何か変だぞ?が大切!
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と書かれていました。機器などが発達する前、第六感も大切な手段のひとつであったのです。

現社会では、テレビが言うから、国が〜、学校が〜、医者が〜、、
みんながそうだから、、と自ら考えることを止めがちで
そういう中に居て、自分で勝ち取り・選んだように思っている事も
社会運営上そこからはみ出さないよう
実は用意された選択肢から選んでいるだけに過ぎず
本来は人間が誰しも持つ「第六感」を大衆が発揮してしまわぬよう
仕事で忙しくさせ、家に帰ればテレビBOXが待ち構え
3Sや消費で人心を巧みに操りながら・考える力を奪い
実際は起こっている脅威には気付かぬよう
大人になっても懇々と教育され続けているのかもなぁ、、
今ではそんな風に感じたりもします。

天体や自然の周期性などを学び始め、現在は大きな時代の転換期であり、
とんでもない境界に生きているんだな…と言うことを知り
自分の違和感はこれから進む時代への危機感「第六感」だったのかも…
と想いを深めながら

いつまであるか分からない・与えられた人間でいる時間、
自分の内にずっとある、奪われることのない富に気づき、育てていきたい、
そんなことを想う、晩秋です。