再び「はい」の場所に
昨日、異動で新しい教会に赴任した。
23年前にこの教会で夫と結婚式を挙げ、
20年前にこの教会で神学校の卒業と牧師按手を受けた。
初めで最後であろう、未知の結婚人生に
神と人との前で「はい」と言った。
神の呼びかけに応えて、未知の伝道者の人生に
神と人との前で「はい」と言った。
若いからこそ、分からない人生に、神と人とに「はい」と言えたのだと思う。
あれから20数年が経ち、結婚の人生、伝道者の人生に何が起きて、どの様な体験をするのかよく分かるようになった。
また新しい教会には、昨年まで10年間、牧師信徒として所属し、途中2年間は福牧師として、教会の働きをしたので、この教会や教会員の事、教会の出来事や難題について、よく分かっている。
若い頃とは違い、分かっている事に、神と人とに
「はい」と言うのは難しい。分かっている良い事以上に、分かっている悪い事の方が心配で不安で恐怖だからだ。
それでも、新しい教会に赴任したのは、神の呼びかけに
「はい」と答え、分かっている事に対して「はい」と応えたからだ。
分からない「はい」と
分かっている「はい」
どちらの「はい」も私には神と人とに対して真実であり、祈りである。
再び「はい」の教会に来て
ひざまづき祈った。
「主よ
どうかあなたのみ旨に
はい
と言い続ける事が出来ますように」