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安息

成人してからの私は病気続きです。牧師になってからも通院しない月は1度もなく、入院すること18回、10ヶ月入院した年もありました。
当然、教会の働きはほとんど出来ず、育児、家事もどうこなしたか記憶があまりありません。

神を愛し、人々に仕え共に信仰の旅路を歩みたく牧師になったのにずっと心配をかけていました。

「元気になればいくらでも奉仕出来る。目が回るくらい忙しくなる日が来るから今はゆっくり休んで」
とずっと言われ続けること18年。
いくらでも、目が回るくらい忙しい日は未だ来ていません。
自分1人が万年安息日を過ごしている事に罪悪感しか感じてきませんでした。

沢山働いて一生懸命生きて頑張っている人は堂々と休んでもいいけれど、私はそんな資格はなく申し訳ないと思ってきました。その秤は病気や困難な状況にある人に対して思いやるどころか
「そこにいるだけなんて本人も周りも心から良しとは思っていないはず」
という厳しい見方になっていたと思うのです。

写真のイエスが寝ているフィギア。ひと目見て購入しました。
「大丈夫、大丈夫、私にあって休んでいい。私と共なる安息を過ごしなさい。」
そう言われている気がしました。
自分や皆が考えている、皆と同じく健康で元気で率先して神の働きをなす事はこれからもないかと思います。

心が騒ぐ度にこのイエスを見て
安息は良いものだ
と思える事を願います。

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