【やっつけ試訳】「バレス裁判」抄訳2(2021)

1のつづき)
ブルトン:この場にいるのはあなた一人だとでも思っているのですか。
ツァラ:親愛なる裁判長どの、証言の最初に申し述べましたように、ここにはクズ野郎が集っております。その中で私は他の皆さんより少し劣っております。その証拠に、私はまだ自殺しておりません。周りで起こるすべてのことのおかげで、私は自殺してやる気になりません。
ブルトン:証人としてここに呼ばれた理由を知っていますか。
ツァラ:確証はありませんが、私がトリスタン・ツァラだからでしょう。
ブルトン:トリスタン・ツァラとは何者ですか。
ツァラ:モーリス・バレスとは正反対の者です。
弁護人(訳注※):弁護人は証人が被告人の人生を妬んでいると判断します。これを認めるか証人にお聞きしたい。
ツァラ:証人は弁護人をクッソ馬鹿にいたしております。
弁護人:証人が被告人の人生を妬んでいるとはあえて認めないことの明確な証拠に違いありません。
ツァラ:そのとおりです。私は自動車を持っておりませんが、あればいいのにとは思います。
ブルトン:他者の精神の平安を妬み攻撃したいと欲したことはありますか。
ツァラ:たったいま変えたばかりの自説によると、私は周りで起こるすべてのことを誰よりもはっきりと把握している人間であると確信しております。およそこの変節の遅ればせ加減ときたら、ちょっと消え入りたいくらいです。 私は自分がナショナリストにならないと申す者ではありません。しかしそれは被告人の低レベルなデマゴギーとは異なる精神からであり、アカデミー・フランセーズのマヌケどもからちょろまかしたぶよぶよの栄光とはかけ離れた精神によるものであることを、私の友人たちは皆わかってくれることでしょう。
ブルトン:あなたは証言の冒頭で、バレスのことは何も知らないと明言しましたよね。被告人がナショナリストになったのは低レベルなデマゴギーとぶよぶよの栄光に基づくものだとどうしてわかるのですか。
ツァラ:私は証言の冒頭でバレスのことは何も知らないと明言しましたが、それでも彼の振る舞いを低俗なデマゴギーに帰するのに必要なデマゴギーだけは手放したつもりがありません。はっきり申し上げましょう。バレス氏に何が起こったかまったく知らないにも関わらず、彼の人生における、ともすれば物議を醸す彼の身の振り方を、今世紀最大のブタ野郎の所業と断じてのけるのは、手っ取り早くて素晴らしく良い気分なのですよ。

(つづく。ここまでで三分の一くらい)


訳注※
「弁護人」役はパリダダ〜シュルレアリスムメンバーのフィリップ・スーポーとルイ・アラゴン。
「裁判記録」の掲載された『リテラチュール』誌には発言者の名前が記載されておらず、「問い」「答え」の印しかない。ここでは
1)弁護人の問いに答えたのはツァラ、それに続くセリフは再び弁護人、
という解釈を暫定的に採った。最初の発言は「裁判長」と「証人」の応酬を遮ってなされた弁護人によるものであることが文脈から察せられ、弁護人が自分を「弁護人」と呼ぶ三人称使いの醸す即物性には証人が自分を「証人」と呼ぶ三人称使いで答えさせたほうがオカシイと思ったからだ。しかし、
2)弁護人のセリフに答えたのは裁判長役のブルトン、それに続くセリフは弁護人、
3)弁護人のセリフに答えたのはツァラ、それに続くセリフはブルトン、
という解釈も可能だと思う。その場合日本語を弄る必要がある。仏語の言い回しのニュアンスを判じ分けるスキルが自分にない。
『ユリイカ』1981年5月号ダダ・シュルレアリスム特集で、朝吹亮二氏は「問」「答」のみを記す形式で、1)または3)と取れる訳文にしている。

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